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みんなの「中国国内旅行」ブログ


第42回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(石家庄・曲陽巡り)1日目A

2017/04/27 11:43
■1日目A
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修徳寺塔を見学した後、午前中で定窯遺址を回る予定でしたが、スケジュールが押しに押しまくったので先に昼食。サクッと食べたかったので、私の大好き張亮麻辣烫。こんな曲陽の田舎にまで進出してたのね。

具材の品揃えや店舗の垢抜け感、サービスは北京に比べるまでもないのですが、おじさん一人で不器用ながらザクザクさばいていきます。我々も崂山ビールをガンガンやります。いつものPAC乗りです。それにしても、中国にいながらまだ麻辣烫を食べたことがない人がいたなんて、そっちの方が驚きです(笑)。
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急いでバスに乗り込み、爆睡してたら定窯遺址に到着。途中とんでもない長さの大型トラックの渋滞を見て帰りの道に一抹の不安を覚えます。ここかと思って最初に入ったレンガ色の建物は文物局で、そこからさらに空き地の方に下って行った場所に定窯博物館がありました。
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その周辺の空き地は、なんと商品にならなかった定窯の焼き物の破片を捨てる場所だったようで、どこの空き地を見ても大量の破片が無造作に落ちています。いうならばゴミ集積場。
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その博物館は、定窯の元々の制作場所の跡にそのまま蓋をかぶせたような場所です。なぜか13人で150元の入場料(団体割引か?)を払い、中に入って見ます。博物館のほぼ全ての面積をその窯跡遺址が占めていて、その周りをぐるっと一周できるようになっています。
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中には、破片がぎっしり詰まっている場所もあり、あれはひょっとすると年代物なのではと目が光ります。他にも小さな展示室があり、歴史の紹介や実物に実際に触れられるようになっています。参観所有時間は10分でOKな博物館です。
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それにしてもこういう官窯の全体像を見ることができる場所が残っているのは貴重です。
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時間の都合と文物局でのヒヤリングで開いてないことがわかったので王処直墓はスルー。田庄古墓を目指します。ところが!やはり行きがけに見た大型トラックの行列はまだ続いていて、そこから渋滞にはまってどうにもならない状態が続きます。300m先に検問があるようですが、そこから一歩も動かず2時間経過。

ようやく動き出しましたが、すでに4時を回ってしまって観光地に行っても意味なし。ということで、直接石家庄を目指します。高速に乗ってドライブインでようやく一休みし、バスに乗ってふと目がさめると石家庄の目の前でまたもや渋滞。ようやくホテルにたどり着いたのは19時。くたくたです。
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もうゆったりしたかったのと、クーポン券をもらったので、ホテルの5階にあった湖南料理の店にて夕食。意外にもと言っては失礼ですが、安くて美味くてしこたま食べて飲んで盛り上がりました。
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夕食後は、PAC一泊旅行恒例のホテル部屋飲み会。お約束80年代アイドル話(分科会あり)からなぜか自分の携帯に入っている楽曲自慢大会に発展。未劣化アサヒスーパードライをしこたま飲みまくって夜は更けていくのでした〜。
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第42回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(石家庄・曲陽巡り) 1日目@

2017/04/26 18:37
4月度の北京あんてぃーく倶楽部の活動報告になります。

今月は、PAC始まって以来の4月の一泊二日ツアーを敢行しました。目的地は、曲陽と正定古城。正定古城は、2014年4月以来ということで、3年ぶりの訪問になりました。今回巡ったところは、一箇所一箇所がかなり素晴らしく、写真もたくさん撮りましたので、少し小分けにしてブログをお届けしたいと思います。



■1日目@
4月22日(土)スケジュール

0721 北京西駅発(G601:7:21-8:24)
0830 定州東駅着→曲陽へバス移動
1000 北岳廟
1045 修徳寺塔
1130 定窯遺址
1230 昼食
1400 王処直墓
1600 田庄古墓
1830 石家庄着→ホテルへ
1930 食事



晴天に恵まれた22日。朝6時前から微信コミュニティでの連絡が鳴り止みません。一応信用していますが、集合場所が西駅と遠いため頻繁に連絡を取りながら無事に全員集合。これで仕事の半分終わったようなものです(笑)。
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7時21分の新幹線に乗り込みます。最初の目的地定州東駅までは1時間で到着。本当に便利です。駅にはすでにお迎えのチャーターバスが待っていました。順調です。ここから曲陽県に向かいます。曲陽県は石の町、正確にいえば石刻の町。歴史的にも長らくその任を担っていた町であります。バスで通る道すがらも露天の石刻芸術広場のようなものが広大なスペースで見られました。
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バスに揺られること1時間半。曲陽の繁華街を通り抜けたその場所に北岳廟はありました。目の前にパッと開けたその場所は、美しい緑に恵まれ、そこになんとも言えない歴史的な雰囲気が漂っています。
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北岳廟。創建は北魏にまで遡れる古刹。北岳恒山を祀る場所として歴代王朝を通じて庇護されきました。
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現在、廟の外も整備された公園になっていて、市民の憩いの場になっています。廟の入場料は40元と高めですが、最初の朝嶽門を見ただけでもそれ以上の価値を感じます。ワクワクしながらいざ入場。
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目の前に鎮座するのが御香亭。別名更衣亭と言われるのは、ここが歴代皇帝が参拝の際に衣服を着替え、香を焚いて沐浴した場所だったから。明代建築ですが、文革の際にかなり被害にあって重建された模様。木組みの様子など明代の様式を伝えます。左手に博物館がありますが、それは後回しにしてまずは中央ラインを攻めます。
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歴代北岳廟の様子を彫った石碑図が埋め込まれた凌霄門から、三山門に至ります。共に明代建築。門の周辺には宋、元、明代石碑が林立しており、特に元碑「大元朝列大夫騎都尉弘農伯楊公神道碑銘」は、元代最高の書法家趙孟頫の手になるもの。
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芝生の緑が一面に広がる気持ちの良い空間に、飛石殿遺址があり、その奥に元代建築の様式を残す徳寧之殿が現れてきました。すごい景観です。
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飛石殿は、曲陽の伝説によると舜の時代(紀元前2000年くらい?)と唐の時代に隕石の落石があったようで、ここに大殿を建てたようですが、清末に消失し、現在はその基壇のみが残されています。
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そして、徳寧之殿。その外観からして荘厳かつ優雅な元代の創建になる建築物。内側の左右両壁には美しい壁画が描かれていて、元代画家が唐の呉道子の風格を模して描かれたと言われています。
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法海寺で明代ですから「本物は辺鄙な場所に残る」と言った孔子の言葉が身にしみます。
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次いで、北岳廟の両サイドに林立する石碑を細かくチェック。三国魏から清代までとんでもない数の石碑です。「大元封加北岳手詔」碑には、なんとパスパ文字が見えます。
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洪武碑楼の中には、明の洪武帝時代に諸々の呼称を改める旨を記した立派な石碑があり、その隣には「魏故侍中散騎常侍定州刺史司空邸氏之碑」があり、欠字はかなりあるものの漢魏の風骨と謳われる力強い字がはっきり見られます。
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予想以上に素晴らしい場所すぎて、予定していた時間を大幅に過ぎてしまいましたが、最後の博物館もじっくり見学。こちらは動物や仏像の石刻が陳列されいます。唐代石刻である灯篭は身柱部分に龍が巻きついている見事なものです。
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北岳廟だけで、間違いなく午前中いっぱい時間を使えましたね。

後ろ髪を引かれる思いで、北岳廟の対面の路地裏に立つ修徳寺塔に向かいます。
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修徳寺塔。宋代創建。八角七層の密檐式塔。1953年になって、この塔の基壇下部分から北魏から唐に及ぶ漢白玉でできた44体の仏像が出土しました。こちらは一部河北博物院で展示されています。
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周辺は普通に畑で、見学していると犬に吠えられ、畑仕事のおばちゃんにジロジロ見られます。それにしても二層目がやたら長く、そこに仏衾が110個刻まれています。あまり見たことがないタイプですが、上部のシンプルさと下部の彫刻美が遼代の建築に繋がる流れのようにも見えて面白いです。
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一日目Aに続く。
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第38回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(清西陵・易県一泊二日ツアー)2日目パートA

2016/12/23 14:32
>2日目パートA
そこから、さらに農村の細道をひた走ります。そろそろ大通りに出るかなと言うところで、運転手が左にハンドルを切ろうとしたところを右に行くように指示出し。なんと曲がったすぐ左手の丘の上に目的の古塔を発見。
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鎮霊塔。元代創建。唐代には四面磚塔がよく見られますが、それ以降では珍しいのではないかと思います。まったく管理されてないボロボロの塔ですが、少し頑張れば中に入れるため、そこも古塔の中でもポイント高いです。ただ、保存を考えると登らない方が良いのですが。
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ここまでですでにお昼の時間を回っています。まさか2日目も昼食なしかと言う無言の圧力を背中に感じ始めます。ひとまず永済橋まで見てということで、百度地図が示す永済橋に行ってみますが、まったく何もない。やられました。ちなみに写真は夕暮れ時ではなく、空気が汚くてセピア色になってるだけ(涙)。
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すかさず撤収して、永済橋の代わりに琉璃河大橋へ。その付近が若干繁華街になっているのはわかっていたので、その辺りでようやく昼食。単なる胡麻味噌面だったのですが、お腹空いてたためか美味しくいただきました。
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琉璃河大橋は、なんと修築中。そこは工事のおっさんと交渉して参観許可をいただきます。立入禁止のはずの橋の上は、釣り人で溢れてます。
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かつて鬱蒼と茂っていた雑草が撤去され、石碑も大変見やすくなっていました。橋自体は相変わらずの美しさですが、空気が汚いせいでなんとなくよどんだ感じ。
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そして、今回のツアーの最終地点である西周燕都博物館へ。事前予約していたので、今回はとても好意的な態度でお迎えいただきました。結局今回どうしても見たかった2階展示部分はまだクローズしていて見られず。
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この博物館は、発掘現場の上に建てられており、王族の墓地の上に当たるため、車馬坑跡などを発掘現場のリアル感を持って見学することができます。初参観のメンバーも多かったので楽しんではもらえたよう。
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お約束の城壁跡を見学後、北京への帰途に着きました。そんなに歩いたわけではないのですが、それでも移動疲れでしょう。帰りはみんなしてこってり寝倒して帰りました。気づけばもう解散場所であるケンピンスキーホテル前。本当に楽しい2日間でした。
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後日談ですが、あまりに楽しかったのでしばらく私はPACロスでした〜(笑)。
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第38回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(清西陵・易県一泊二日ツアー)2日目パート@

2016/12/23 14:06
>2日目パート@
12月11日(日)、朝起きるとそこそこ気持ち悪い。まあ昨夜あれだけ盛り上がればしょうがないよね、と思いつつ、7時にはホテルの朝ごはんを食べにレストランへ。信じ難いことに、呑んだくれていた皆さんはすでに食事中。皆さん元気です。
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8時半にロビーに集合して、荊軻塔へ。前回荊軻塔に来た時もひどい二日酔いでしたが、今回は朝食食べたら完全復活。若干丘陵になっている荊軻公園の頂上部分にその塔はあります。
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荊軻塔。正式名称は、聖塔院塔。遼代の創建。地元易県の歴史的英雄・荊軻を祭り上げて観光スポットにしようとした形跡が見える公園ですが、確かにこの古塔は立派です。プレートも無事確保。
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公園の目の前は、国家的プロジェクト「南水北調」のために作られた人口河川とのことで見学。確かにこちらも立派です。ちゃんと使われているかは不明ですが。
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そこから、燕下都遺址を見るためにバスで農村地帯を走ります。百度地図上に示されている場所には、小高い丘のようなこんもりした場所があり、何名か先客がいました。
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あまり下調べしてなかったのですが、この燕下都遺址は、その都城跡が城壁だけでなく、食料倉庫跡なども点在していたようで、辿り着いたこの場所はその食糧倉庫の一部らしいと地元民が説明してくれました。
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次いで、その付近の燕子塔を目指します。よくよく見ると燕下都遺址の一部と思われる場所が点在しています。道幅の問題で、大通りにバスを止めて、なぜか凍結した胡同を徒歩で目的地へ進んでいきます。
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何やら騒がしい音楽が聞こえてきた付近に、燕子塔が見えてきました。この塔は、荊軻を刺客として送り出した燕太子丹を記念して作られたものと言われていますが、創建は遼代。なんとその対面には、最近作られたらしい黄金台があります。
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黄金台は、簡単に言うと「まずは隗より始めよ」で有名な郭隗を住まわせた場所で、その前に燕昭王の銅像まであります。マニアにはたまらないシチュエーションです。『史記』の文章が頭を埋め尽くします。早速郭隗気分で黄金台に登ります。そこでストーリーを一通り説明しましたが、黄金台から降りた側面の壁に、まったく同じことが説明文として掲示されていました。こう言うのは良いですね。
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そして八角十三層密檐式の燕子塔を見学。その古塔の前に、何か大殿でも作ろうとした木組みが組まれているのですが、志し半ばで放置されているようでした。頼むから撤去してほしい。
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ようやくじっくり見ようと思ったら、何やらお隣の広場で京劇をやっている模様でそちらが気になります。古塔はまた見に戻ってくれば良いかなと思って京劇を見に行ったところ、時間がなくなりそのままバスへ(涙)。
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海昏侯墓

2016/06/28 10:35
本日は北京の文物の話ではありません。そのあまりに衝撃的な発見から早5年。毎年驚きの報告が届く、江西省南昌市で発掘された漢代の列侯である海昏侯劉賀の墓のお話です。
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ここ数ヶ月知人のSNSなので、海昏侯墓展を見に行った情報が配信されており、羨ましく思っておりましたが、なんと灯台下暗し。北京市首都博物館で展示がされており、私がそのことに気づいたのは、アンコール展示で1ヶ月展示期間が延びたというニュースを見た時でした。
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その最終日は6月25日。気が焦ります。ということで予約もせずに行ってみました。
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なんと常設展示以外は、事前予約をしないと頑なにチケットをくれません。どうせ無料なんだからその場でなんとでもなるかと思ってましたが、さすがに大名商売、全く融通が利きません。散々ごねまくっていたら、見かねた他の観客の方から余っているからとチケットを譲っていただきました(苦笑)。
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ようやく念願の海昏侯墓展。まさに昨年発掘された大量の五朱銭がその様子がわかるようにどさっと展示されています。そして黄金の金餅もこれでもかと見ることができました。
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最新の文物を見ることができ、来てよかったと感動しました。特に、玉剣に付随するつかの部分の玉飾りは見事でしたね。
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北京には、老山漢墓や大葆台漢墓があり、見事な黄腸題奏が発掘されているのですが、整備中とのことでしばらく見ることができません。せっかくこう言う直近の発掘を北京で展示するなら時代も身分も同じような3つの墓でどう様式が違うかという角度で展示するとか工夫してほしいというのは贅沢なお願いでしょうか(笑)。
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海昏侯劉賀は、漢の武帝の孫ということなので、武帝期以前の大葆台漢墓の主人よりお金持ちであったのは間違いないと思いますが、そのおびただしい量の埋葬品は、南方の国々が地方なのを良いことにかなり裕福な生活を謳歌していたように思います。
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ああ、現場に行ってみたい〜。
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第31回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(定州ツアー) パートA

2016/05/25 07:25
パート@からの続き

次に、定州清真寺を見学。元代の創建。門構えが見事です。中に入ると古刹らしく静閑な場所で、18人でどやどや押しかけたのが申し訳ないほどでした。
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ちょうど清真寺の対面に元祖小肥羊を名乗るレストランがあったので、ちょっと時間は早かったもののランチタイムに。羊肉串始め、羊料理はさすがのウマさでした。
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午後は、次の目的地が近そうだったので腹ごなしがてら歩いていきます。中山漢墓、別名石刻博物館に到着したのですが、残念ながら本日は開かないとのこと。どう言う基準で休みにしてるのかは全く判明せず。日曜日ですよ〜。
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時間が勿体無いので、文廟へ移動します。別名定州博物館と言われてるようですが、中でそれに値するものは玉衣くらいで、あとは普通に孔子廟でした。
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ただ、歴史は古く、北宋の蘇軾が定州に赴任した際に植えたと言われている古木などがあり、北京の孔子廟同様パワースポットになっていました。
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続いて、大道観玉皇殿を見学に行きます。ただ、事前の調査では中には入れないとなっていたので、せめて外観を一目だけでもと思っていましたが、会員の皆さんは入る気満々で入れそうな場所を探します。
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結局ヘドロ処理場のような場所から外観正面を拝めるようで、背伸びして中を撮影していると、背後で会員の皆さんの悲鳴が聞こえてきました。何かと思ったら、この大道観玉皇殿のプレートが、そのヘドロにまみれて発見されたのです。
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一同涙に暮れました。自国の文物を大切にできないのはどこの国にもあるとは思いますが、指導できる人間が導いていかなくては自分たちの築いてきた文明を自分でけなすようなものだと思います。
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悲しみの雰囲気の中、最後の目的地南城門に到着。バスも通れない場所であったため、しばし皆で歩いていきます。やはり街中を歩いた方が、その町のことはよくわかるものです。南城門は登上することはできませんでしたが、外城と内城がしっかり残っていて、往時の繁栄の一端を見た思いでした。
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定州発の北京行きの高鉄が15時台でなくなるため、一旦石家庄までバスで出て、そこから高鉄に乗ります。ただ、出発二時間以上前に石家庄に到着したため、しょうがないので駅構内で大宴会かまします。もちろんよそ様のご迷惑にならない程度に、各売店の冷えたビールを買い占めて痛飲しました(笑)。
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結果としては、定州ツアーは大成功で、素晴らしい場所も多々見ることができましたが、なぜか今でも開元寺塔の壁画破損や落書き、ヘドロにまみれた大道観玉皇殿プレートのことが暗く頭の中を支配しています。何か我々の活動を通して、役に立つことはないか、真剣に考えたいと思いました。
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第31回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(定州ツアー) パート@

2016/05/24 07:10
5月22日(日)に実施された第31回北京あんてぃーく倶楽部活動報告になります。

■日程
5月22日(日)

■スケジュール
0645 北京西駅地下鉄出口集合
0723 G603 出発
0824 定州東駅
0900 開元寺塔
1000 定州貢院
1100 元代清真寺
1200 昼食
1330 唐代文廟
1500 中山漢墓
1630 明代城門
1715 石家庄駅へ出発
1915 石家庄駅着
1955 G6744 出発
2114 北京西駅着 解散

朝陽区から北京西駅は本当に遠い。イメージでなく本当に遠い。さらに朝6時45分集合なんて言ったら果たして何名脱落者が出ることやらと少し楽しみにしておりましたが、時間前に全員集合。日本人って素晴らしいね。
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ということで18名で高鉄(新幹線)に乗り込み、保定と石家庄の中間にある古都定州へ向かいます。といっても小一時間ほどで着いてしまうので、列車の旅という気分でもありません。定州駅自体は高鉄のために新しく造ったのでしょう、かなり立派です。
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改札を出ると、お願いしていたバスの運転手と無事合流。15分ほどで市内に入り、最初の目的地である開元寺塔に向かいます。町のシンボルとも言えるこの塔は、創建はもちろん唐の開元年間。現在は、幾多の重建を経て、表向きは味気ないコンクリ壁になっています。
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遠くから見ると真っ白で綺麗なのですが、慈善寺塔や天寧寺塔など美しい装飾のある塔を山ほど見てきた会員の皆さんには味気なく映ったようです。
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ただしこの塔、中を登れるのです。11階中7階まで登ることが可能。かなり急な階段を上っていくのですが、1階ごとに見事な仏教壁画が三方に描かれています。
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ただ、文革時に破壊されたであろう顔面部分の破損と、普通に観光客に落書きされた痕がひどく残念でした。
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開元寺塔を後にしようとした時、会員1名が行方不明になり大騒ぎに。蓋を開けてみると、別の団体様に服の柄模様でつられてついて行っていたとのこと。あんてぃーく倶楽部の活動にハプニングはつきものです(笑)。
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次の目的地を地図で探していて判明したのですが、定州の見所は市内に集中していて、しかも大きくない街なのでかなりコンパクトに回れます。また、北宋の時代に栄えた街のため、その時代の街並みを再現して観光客を呼び込もうというコンセプトのもと、中心地の開発が進んでいます。
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そのコンセプトのもとになった場所が、定州貢院という科挙の試験場跡です。
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雄大な門をくぐると、これまた特色のある建物が現れます。今まで見たことのない建築物で、なぜか鬼の人形が正面から睨みつけています。この場所こそがまさに試験場だった場所で、おそらくカンニングなどするなよと鬼が睨みを利かせているように推測します。
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広々とした美しい敷地内には幾つかの建物があるのですが、他は見学できないようでした。しかし、大変貴重な経験ができました。
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道路を挟んで開元寺塔側に、中山博物館が建設中です。これができたらまた是非来たいですね。
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パートAに続く。
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第26回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(清西陵・満城漢墓1泊2日ツアー)パート2

2015/12/17 07:30
2日目。
13日(日)の朝は、なかなかに昨日の酒が残って気持ち悪い状態です(当たり前か)。せっかく朝食付きにしたので、無理くり7時半にレストランへ。女性陣は元気ですね。ちらほら集まり始め、8時過ぎにようやく男性陣が集結。男性陣はどうやら朝の散歩組もいた模様。こちらも元気だ。
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8時45分にロビーに集合して、歩いて2分の場所にある「保定市博物館」へ。この日はPM2.5がかなり厳しい状態で視界が悪く、高速道路が封鎖されないか心配が頭をよぎる。そんなことを考えていたら、すぐに博物館に到着。9時前ながら開館していたので、早速入ってみると、なんだか暗い感じ。
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1階の第一展示室から参観開始。さすがに、満城漢墓から出た出土品の目玉は北京か石家庄の博物館に送られていて、残っているのは素朴な出来栄えの土器ばかり。ただ、漢代の瓦当には見事な饕餮文が彫られたものが多く、原田名誉会長の「多少銭?」コールをしてみたくなりましたが、博物館に関係者らしい人の影が全くなし!すごい放置プレーです。
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あきらめて、2階にあがって第二展示室を見学。入ってすぐに、保定市管轄の遺跡分布地図があり、部屋全体には、その遺跡を紹介したパネルが一面を飾ってあるだけの部屋。普通の観光客ならブチギレて帰るところですが、我々にとっては後光が差しているように輝いて見える展示室です。皆さん目をキラキラさせて次の獲物を物色するかのように遺跡分布地図にくびったけ。ほっとくと2時間くらいへばりつきそうでした。後ろ髪引かれる思いでスピードUPして見学を終えます。
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3階もあったのですが、絵画が展示されていて美術館も兼ねているようでした。ここはもちろん省略。

ホテルをチェックアウトして、10時15分いよいよ満城漢墓に向けて出発。それにしてもPMが厳しい。約45分ほどで満城漢墓に到着しましたが、驚くべきことが2つ。ひとつは、PMが厳しすぎて辺りが真っ白にしか見えなくなったこと。もうひとつは、目の当たりにした満城漢墓の入り口付近が、いかにも失敗して廃墟と化した第三セクター状態で、意味不明な歴史建築を模した建物が立ち並んでいました。
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「満城漢墓」。高祖劉邦は漢建国後、秦の郡県制の失敗を鑑みて、郡国制という中央集権プラス王国の併存という体制を敷いた。現在の保定を中心としたあたりにできた国が、中山国であり、その初代の王が景帝の息子、中山靖王劉勝。淫乱の王として名高く、子供50人、孫まで含めると120人と伝えられる。1968年に河北省保定市満城県(満城鎮)で、劉勝と王妃の竇氏(諱は綰)の棺が発掘された。両人の遺体を包む金縷・銀縷玉衣と、その他の遺品が発見されている。後の?郡から身を起こす劉備が中山靖王の末裔と名乗ったのは上記の理由から、民衆に納得されやすい理由であったと思われる。

劉勝墓は、全長52m、最も広い場所で38m、高さ7m。墓道、車馬房、倉庫、前堂、後室で構成されている。竇綰墓もほぼ同様。その随葬品は豪華奢侈を極め、金器、銀器、銅器、鉄器、玉器、石器、陶器、漆器、絹織物など約1万点が発見された。中でも、金縷玉衣、長信宮灯、錯金博山炉は世に名高い。

気を取り直して、チケット売り場に並ぶと、いかにもやる気のない対応。久しぶりに中国を体感した感じ。入場料は、漢の中山靖王劉勝とその婦人の墓を参観できる通票で75元。さらにそこまで行くリフト往復で50元。完全にこの廃墟のつけを払わされてる感じです。
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入場してみるとなにやら怪しい金ピカの仏像の頭が見えます。見なかったことにしたい感じです。旧チケット売り場はすでに廃屋と化していて、その道端に獅子や官僚の石像が立ち並びます。少しよい感じになってきました。
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リフトに乗って山頂まで登ります。いよいよ満城漢墓です。
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まずは、漢の中山靖王劉勝の墓へ。入口になにやら緑の光が見えます。嫌な予感です。
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墓に入ってみて唖然としました。青色ライトアップされた空間の中に、いかにも模倣品な品々がいやらしい感じで陳列されています。やっちゃいましたね。
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ただ、前漢代の王の墓がどういう構成になっていたのかはよくわかりますし、中室の天井がドーム型になっていたりするのは、当時の技術の高さをうかがわせます。1968年にたまたま訓練をしていた人民解放軍が発見したそうなのですが、こんな山頂でなんの訓練をしてたんでしょうね。そちらの方が気になります。
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婦人の墓も同様でした。あまり派手派手しくしない方が良いと思うのは日本人のみでしょうか。
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ふと気づくとかなり時間がおしています。急ぎ下山して、テーマパークのシンボル「長信宮灯」モニュメント前で記念撮影して終了。
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高速封鎖も気になるし、昼食はトマト玉子面と保定名物驢肉火焼(ロバ肉)をさくっと食べて終了。最終目的地「西周燕都遺址博物館」を目指します。時間はすでに14時を回っており、15時半に瑠璃河大橋を通過、15時45分に西周燕都遺址博物館に到着。なんとっ!時すでに遅し。16時で閉館ということで、すでに門は閉められていました。
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無念ながら、まだ燕都城壁跡は見ることができます。博物館横の一見するとただの畑の場所に残された燕都城壁を皆で見学し、ついに濃密な1泊2日の北京あんてぃーく倶楽部の活動を終えたのでした。
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そこから国貿までは市内が若干渋滞しましたが1時間半で到着。すぐさま解散となりましたが、一部は反省会に流れたようです。さすがに疲れましたが、実に楽しい活動でした。また1泊2日ツアー実施します!

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第16回北京あんてぃーく倶楽部&胡同会活動報告(12月度・清西陵)

2015/01/02 10:31
12月度の北京あんてぃーく倶楽部の活動は、北京でも歴史ある文化系コミュニティ「胡同会」とのコラボ企画として、「清西陵」に行ってきました。原田名誉会長とあんてぃーく倶楽部の活動内容を検討していたとき、「毎年12月の最も極寒のときに、誰も来ないであろう清西陵に行って、回音壁で遊ぶ」という方針を決めていたので、その活動に胡同会の皆さんにもジョインしてもらいました。

当日は、朝7:30集合。当初19名予定でしたが、2名どたキャンがでて17名で出発。バスの中で自己紹介などやってもらう予定でしたが、私(千葉)の体調があまりに悪くてひたすら寝倒してさくっと清西陵に到着。
目の前には、“あの”易水がっ!感動っ!!
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事前情報でわかっていたのですが、到着した場所が、新西陵の中の雍正帝の墓「泰陵」まで随分距離が有り、ひたすら歩かされました。途中で購入した地図を見て、新西陵のでかさにびっくり。山3個分くらいすべて墓!
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あまりの果てしなさに、青空を見上げてたたずむF本氏。※共産党の人ではない。

幸いなことに、この日の天気は最高によく。目の前に現れた泰陵とそのバックの青空のあまりの美しさに、参加者全員が感動っ!
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中国人にはあまり人気のない雍正帝ですが、その実直にして謹厳な仕事ぶりは、歴代皇帝の中でも類を見ない賞賛に値する皇帝です。じっくりその陵墓を見学。
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前殿などはその人柄を反映したのか、かなり質素なたたずまい。静粛な雰囲気がただよっていて気持ち良い場所です。お墓の場所まで、入口から10分くらい。
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泰陵だけであまりに時間を取られたので、いそぎバスに乗り込んで「西昌陵」へ。行く途中の道に、嘉慶帝の陵墓である昌陵があり、次回は1泊コースで来てゆっくり見ようと心に決めつつ、さくっと西昌陵に到着。ここに今回のツアー最大目的である「回音壁」があるのです。
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いやー、本当にすごい反響音!すごいの一言!ぜひ一度来てみて体験してみる価値はあります。

最後の目的地として、「荊軻塔」を見学に。おそらくですが、塔自体が遼代以降に創建されて、そこに地元の英雄荊軻の名を冠した公園が最近造られたって感じですかね。
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帰りもさくっと帰れるかと思いきや、なんと突然高速が封鎖されててしまった。目の前の車が高速に入った後に、連絡があって止められてしまった。なんたる不運。。。しょうがないので国道を通って北京に到着。最後の最後に時間がかかってしまいましたが、実に楽しい活動となりました。
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労働節の休暇を利用して、恒仁、集安、瀋陽に旅行しました。 (その7)

2014/05/06 19:34
i瀋陽 福陵(東陵)

清朝初代皇帝ヌルハチの陵墓です

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瀋陽故宮

北京の故宮の十二分の一の規模です。
ヌルハチとホンタイジ時代の王宮です。
清朝皇帝二代までここに都がおかれ、当時は盛京と呼ばれていました。
1644年都を北京に移すと、奉天と呼ばれるようになりました。

大政殿

瀋陽市のシンボルです!

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鳳凰楼

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崇政殿

ホンタイジ時代の建造物で執務室でした。

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遼寧省博物館

博物館自体は大きな建物ですが、展示物はそれほど多くは有りませんでした。
遼寧省朝陽市で発掘された唐代の俑は 写真のように中原で発掘された俑と顔立ちがどこか違います。中国は広いと改めて感じました。


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今回の旅行は天候にも恵まれ、また、特に、桓仁と集安は中国人にとって有名な観光地では無かったことも有り、連休中の旅行では有りましたが、観光客も少なく、ゆっくり観光できました。


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労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、集安に旅行しました。(その6)
労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、集安に旅行しました。(その6) 瀋陽 日本占領下の建造物群 ...続きを見る

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2014/05/06 09:32
労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、集安に旅行に行ってきました。(その5)
労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、集安に旅行に行ってきました。(その5) 日本占領下の建造物群 ...続きを見る

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2014/05/05 22:14
労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、集安に旅行してきました。 (その4)
労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、集安に旅行してきました。 (その4) 1) 好太王の碑 及び好太王陵 ...続きを見る

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2014/05/05 19:45
労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、集安に旅行してきました。(その3)
労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、集安に旅行してきました。(その3) 集安観光 ...続きを見る

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2014/05/05 08:21
労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、集安に旅行してきました。(その2)
労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、集安に旅行してきました。(その2) 五女山から集安までは、約130kmの距離とのことでしたが、高速道路はなく、山路で、幾つかの峠、集落を超えながら、風景は非常に牧歌的でのどかでは有りましたが、街灯はなく、集落と集落の間には車がすれ違うこともほとんどなく、車が、もし故障したら、全く身動きは取れないだろうなと思いつつ、 恒仁から集安まで約3時間もかかり、2000時頃到着しました。集安の繁華街はそれなりに明るく、賑やかでしたが、正直、陸の孤島と言った感じで、隔離されている街のような感じはしました。 本当に、遠い。。。。 ...続きを見る

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2014/05/04 22:19
労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、 集安に旅行してきました。
労働節の休暇を利用して、瀋陽、恒仁、 集安に旅行してきました。 遼寧省の瀋陽から、高句麗の遺跡、吉林省の集安までのツアーが二泊三日で可能であると言うことを知り、強行軍ではありましたが旅行してきましたので、報告します。 ...続きを見る

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2014/05/04 15:22
世界遺産 楽山大仏
世界遺産 楽山大仏 成都から南に車で約二時間、楽山大仏を見に行って来ました。 ...続きを見る

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2014/04/08 23:10
成都の骨董街について
成都の骨董街について 成都の骨董街は杜甫草堂(唐の詩人で安史の乱の時4年間成都に避難していた。その住居後)のそばに有ります ...続きを見る

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2014/04/08 22:50
清明節の休暇を利用して成都に旅行して来ました。
清明節の休暇を利用して成都に旅行して来ました。 一年のうち200日は曇りと言われている成都の初日は小雨模様でした。 あんてぃーく倶楽部の観点から報告致します。 1) まずは三国志の聖地 武侯祠博物館の見学 諸葛亮と劉備の人気は流石にすごい! ...続きを見る

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2014/04/08 19:53

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