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プロフィール

ブログ名
北京あんてぃーく倶楽部
ブログ紹介
おいしい食事とワインを楽しみながら、歴史ロマンを語れる文化サロン。月1回、博物館や骨董店めぐり、北京近郊日帰りツアーなど企画しています。

【倶楽部設立の経緯】
2013年6月、骨董収集歴20年の骨董オタクと中国古代歴史(宋朝以前が得意)オタクの2人がワインでいい気分になり、北京の歴史や文化とりわけ骨董(古美術)をもっと堪能するために、酔った勢いで設立

【倶楽部の活動方針】
活動回数は基本的に毎月1回
活動基本方針は下記の通り
A)北京のアンティークショップめぐり
B)北京郊外を含め、観光ガイドブックにはあまり記載されていないが、1人で見学するにはちょっと面倒くさいディープな史跡めぐり
C)博物館めぐり および有名な史跡を利用したレストランでの昼食
この3カ所を交互に見学する

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第52回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(下・盧溝橋)編

2018/05/07 21:21
2018年4月第52回活動報告(下・盧溝橋)編です。

本日最後は「盧溝橋」です。

盧溝橋へ行く前に駐車場近くの七七事変の砲弾跡を見学。
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続いて国保に同時登録されている明末に建設された城郭都市・宛平県城を簡単に見学します。
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そして、盧溝橋へ。
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入場料は20元です。
全長266.5m、金代の明昌3年(1192年)に完成し、かつてこの地を訪れたマルコ・ポーロがその素晴らしさを著書「東方見聞録」に書き残しています。

先に橋に向かって左手にある橋全体を俯瞰出来る場所へ行きます。
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一度外に出ますが、チケットを見せればまた中に入れます。
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全体を見ると11のアーチがある石橋であることが分かります。
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欄干の色がところどころ違います。数多くの修復を繰り返してきたのでしょうね〜。
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アーチの格好をしてみましたが、あんまりシンクロしてませんねえ(苦笑)。

中央に戻ってきましたが、まだ橋は渡りません(笑)。
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橋のたもとには乾隆帝の筆と伝わる「盧溝暁月」の石碑があります。燕京八景の1つに数えられます。

橋の始まりは華表からです。
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すぐ下には橋の両端を支える石獅子像があります。
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専門家によれば金代のオリジナルではないかということです。

ようやくプレートにたどり着きました。
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先程の宛平県城を含んだ国保プレート。堂々の第一批准です。
国保は今や第七批准まであり、その数も中国全土で4,400を超えますが、1961年に国務院から初めて制定された第一批准の国保は全国で180ヶ所のみでした。1961年制定の第一批准プレートを見るとなんだか神々しく感じます(笑)。
ちなみに北京にある第一批准の国保は18ヶ所で以下の通りです。

1.北京大学紅楼/“五四”運動記念地
2.盧溝橋(含宛平県城)
3.天安門
4.人民英雄記念碑
5.房山雲居寺塔と石経
6.妙慶寺白塔
7.真覚寺金剛宝座(五塔寺塔)
8.居庸関雲台
9.故宮
10.万里長城−八達嶺
11.天壇
12.北海と団城
13.智化寺
14.国子監
15.雍和宮
16.頤和園
17.周口店遺跡
18.十三陵

いよいよ橋を渡ります。ここまでで駐車場から40分以上掛かりました(笑)。

盧溝橋の特徴は欄干に並ぶ501体の獅子像。金代、元代、明代、清代、民国期、現代と6時代の石獅子が共存していることです。
その違いを詳しく書いてあるのがこちらの著書です。
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一冊3,000円を超える専門書ですが、日本語で詳しく記述されていてとても参考になります。

早速、本からの資料写真を片手にそれぞれの時代の獅子像探しをスタート。
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こうした文物の楽しみ方も文物をとても身近に感じさせますね。そして本の中の写真と同じ現代の石獅子を発見!
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こちらは清代末期から民国時代。
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この本やインターネットでの情報によるとこの時代の石獅子の特徴は、
1) 彫刻が粗い
2) 後頭部の巻き毛がひと巻きかふた巻
3) 石材が暗い
とあります。なんか難しい〜。

次に清代の石獅子を見つけました。
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特徴は、
1) 胸を張っている
2) 口腔内は空洞(明代共通)
3) 体の上に載る獅子がいる(明代共通)
4) 彫刻が詳細
5) ゆったりとした首輪を掲げている
6) 巻き毛が高々と突起している
7) 切れ長で細い目元
8) 狂暴さがない
9) 石材が暗い青色ないし赤色
本の写真と照合しないと良く分かりません。文物局による各時代の石獅子が特定できるような公式発表が欲しいところです。
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メンバーの皆さん、結構真剣です(笑)。

こちらは明代です。
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1) 体系は太く短い
2) 毬や子獅子を踏んでる
3) 体の上に載る獅子がいる(清代共通)
4) 口腔内は空洞(清代共通)
5) 舌が上側を舐めている
6) 胴と足の間に空洞がある
とあります。正直なところ特徴だけでは正確に区別が付きません。本の写真と同じ石獅子を探すだけで大変です。でもなんか楽しい〜(笑)。

元代の石獅子に突入です。
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この辺から古さが際立ってきます。

最後は金代です。盧溝橋創建当時の石獅子です。
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金代と元代の特徴はほぼ同じで違いが分かりません。
1)体系やや細長い
2)眼光するどく頭部の割合が大きい
3)顔幅狭く、頬が持ち上がり顎が痩せている
4)口は開いているが口腔内はふさがっている
5)足が短い
6)前足にウロコ上の甲冑紋
7)首輪を洒脱に巻いている(どんなん?)
8)胸元に小さな鈴
9)なで肩(笑)
10)全体の風化が著しい
確かに石獅子の大きさが全体的に小さいのと風化が進んでいるのは良く分かりました。
元代、金代であろう似たような石獅子を他にも何体か見ることが出来ました。
時代の古さが分かると何なんでしょうか?結構どれも可愛く思えてきます(笑)。

反対側まで渡ります。橋の両端は先程の獅子ではなく象さんです。
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十分盧溝橋を満喫して入り口まで戻ります。
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盧溝橋には轍の刻まれたオリジナルの石板も残ります。
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夕方、北京市内に到着。いつものお店で反省会。
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今月末で北京を離れるメンバーも反省会から合流。今日もまたアサヒビールを片手にいつまでも思い出話しに花が咲きました。

それではまた次回。

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第52回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(中・戒台寺)編

2018/05/06 08:08
2018年4月第52回活動報告(中・戒台寺)編です。

尚、潭柘寺と戒台寺はPACでほぼ3年前の2015年5月に一度訪問しています。その時は26名の参加。当時も参加して今回も参加しているメンバーはわずか1名。3年でメンバーも入れ替わるものですね〜。当時の活動報告は2015年6月にありますので、そちらも合わせてご覧ください。

さてさて、潭柘寺を後にして、近くのレストランで早目の昼食。
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お店の名前にもなっている「鹿角麺」とは鹿角という名の植物を煮つけた餡がかかった麺でした〜。
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たくさん食べて飲んで、お一人様40元(約700円)のお会計です(笑)。

午後の最初は「戒台寺」です。
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レストランからは10分程度で到着。寝る暇もありません(笑)。
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戒台寺は唐代武コ五年(公元622年)に慧聚寺として創建。

まず目を引くのが立派な松の木。
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遼代の塔もあります。
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近くには遼代、元代の石柱があり、ガラスケースで大切に保存されています。
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石柱の隣りには明代の素晴らしい仏龕があります。こちらも見逃せません。
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そして何と言ってもお寺の名前にもなっている戒台殿の「戒台」です。
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漢白玉石で造られていて一辺が3.5mの正方形。杭州昭慶寺、泉州開元寺とともに中国三大戒台と呼ばれ、戒台寺はその筆頭と言われます。
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戒台の周りにはずらっと像が並びますがこんなユニークなものまで。ここで高僧のお説教を聞いたのですね〜

戒台殿の両脇は五百羅漢堂になっており、覗くと羅漢様の数々。未開放となっているのが残念なところです。
そしてその奥には大悲殿があります。
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屋根も超オシャレです。屋根の上に塔が建っています〜
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戒台殿殿頂金剛宝座塔。日本のある文献では戒台殿屋塔と呼んでいます。1477年創建。5メートルの中央塔と周囲に小さな塔を4基配置した金剛宝座式塔で、屋根に配置される塔では非常に珍しい形です。

大悲殿北魏時代の仏像もずらり。
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約1500年も前の仏像が、係員もいないところで数十体も置かれているのがこのお寺の凄さです(笑)。

ちょうどライラックなどお花が見ごろでした。
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5月には牡丹の花がきれいに咲くようです。
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メンバーがバラバラで参観している間に、先に戻ってきた一部のメンバーで記念撮影〜。
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忘れてました。奥に見える大雄宝殿の扁額は清朝第6代皇帝乾隆帝の御筆です。
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メンバーの一人がリスを発見!
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見どころ盛りだくさんの(中・戒台寺)編でした。(下・盧溝橋)編に続く〜
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第52回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(上・潭柘寺編)

2018/05/05 10:18
2018年4月PAC活動のご報告です。
今回の北京あんてぃーく倶楽部活動は「門頭溝区の潭柘寺・戒台寺と盧溝橋めぐり」です。
まずは「上・潭柘寺」編です。
午前中は小雨の少々肌寒い1日でしたが、17名のメンバーが元気に参加。

■日時
2018年4月22日(日)

■実際ルート
0730北京市内集合
→潭柘寺(国保)/潭柘寺塔林
→昼食
→戒台寺(国保)
→盧溝橋(国保)
→北京市内/反省会
※国保=国家(全国)重点文物保護単位

早朝、北京市内集合に集合して、借切りバスで「国保・潭柘寺」に向かいます。“先有潭柘,后有幽州”(まずは潭柘寺が出来て、その後に北京城が出来上がった)という言い方がある通り、潭柘寺は西晋年間(265年- 420年)の創建といわれる古刹です。創建当時は嘉福寺と呼ばれていたようです。

潭柘寺の駐車場に到着、ここから少しなだらかな山道を歩きます。早速、山道は潭柘寺塔林の裏側を通っており、しっとりと雨に濡れた古塔がずらりといい感じです。まずは虎を埋葬したという伝説のある「虎塔」がお出迎え。
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清代晩年の建立のようです。

右手にはあとで見に行く予定の下塔林。こちら側からは壁があって入れませんので、上から眺めます。
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チケット販売所前の塔も、ぐるりと回ります。
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2基ともなにも表記がなく、建立年代も不明です。

チケットは潭柘寺と戒台寺の通しチケットを買います。80元(バラだと100元)。
チケットを買った後は、結構歩きにくい石段を数分登って行きます。
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登りきると入り口手前にプレートがあります。
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潭柘寺の入り口でお決まりの集合写真。
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チケットゲートを過ぎた目の前は山門です。珍しく人がいないので、チャンスとばかりにここでも集合写真(笑)。
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山門をくぐると、朝からたくさんの参拝客が来ています。
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入ってすぐの右側には「大銅釜」。
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潭柘寺にはもともと3つの大釜(蒸し釜、粥釜、炒蔡釜)があったそうで、現存するのは粥釜です(直径1.85m、深さ1.1m)。この粥釜で潭柘寺で修行する多くの僧の食事を賄ったそうです。

潭柘寺のもう一つの魅力が「古樹」。すっかり緑になった古樹が雨に映えます。
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大きなマニ車、メンバーたちがぐるりと回って徳を積みます(笑)。
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次は「礼塔(金剛延寿塔)」です。
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お寺の少し奥の右手に有るラマ式白塔です。
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みんな塔の周りを廻って願い事をします。地味な塔ですが信仰の深さを感じる塔ですね。

雨が少し強くなってきましたが、緑や真っ赤な蓮をかたどった蝋燭の炎がますますクッキリと映えます。ライラックの花もとても綺麗。
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お寺の奥、左手の「魚石」です。
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この魚石は空から降ってきたという伝説があり、自分の身体の悪い部分を魚に見立てて撫でると回復すると言われ、みんな撫で撫でするのでお魚はピッカピカ。長さ1.7m、重さ150kgの大きなお魚です。
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皆さん、頭が良くなるように魚石の頭を撫で撫で(笑)。

お寺の敷地をちょっと出ますがすぐ隣には「観音洞と老虎洞」があります。
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お寺の敷地内に戻り山を少し下ると「戒壇」と「関帝廟(三財神殿)」です。
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戒壇はご存じの通り、高僧がお説教をした場所。「関帝廟」はお金が貯まる運気で満ち溢れています。
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お寺の右側に見落とした場所があったのでフォローします。
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潭柘寺の名前の由来となった龍潭の淵へは通行止めでした。手前の牌楼も新しいのだそうです。

次は「流杯亭」。
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流杯亭は水にの流れで表現される線画で、見る方向によって虎と龍の頭に見えます。え、どっちが虎?龍? 

「乾隆宝座」
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乾隆宝座は乾隆帝が6回、潭柘寺を訪れた際にお休みされた場所です。乾隆帝と宦官の蝋人形像は新しい物、壁画は乾隆帝が潭柘寺を訪れている様子だと説明に書いてありますが、壁画が書かれた時代の記載がありません。残念ながら中は撮影禁止でした。

雨の古刹をすっかり堪能して次は潭柘寺「塔林」へ。
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「塔林」は上塔林と下塔林の2ケ所があり、まずは上塔林の横を通り過ぎます。
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上塔林は以前より非公開ですので塀の外からちょっと見るだけ。
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そして下塔林へ。
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しか〜し、「修復のため当分閉鎖」の張り紙です。残念。。。ここにはたくさんの高僧を顕彰する塔があり、その中には長野県出身の日本人高僧や遠くインドや西インド(パキスタン?)出身の高僧の塔もあります。またフビライの娘、「妙厳公主」塔などもあり、楽しみにしていたのにちょっと残念。
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以上、「上・潭柘寺」編でした。「中・戒台寺」編に続く〜。
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<北京の世界遺産めぐり>頤和園十七孔橋「光のトンネル」編

2018/04/11 20:28
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不定期シリーズ「北京の世界遺産めぐり」の頤和園十七孔橋「光のトンネル」編です。

頤和園は元の時代に貯水池だった場所が明代を経て、光緒帝の時代に西太后の故居として整備され、この時に名前が清漪園(せいいえん)から頤和園に改称されました。

清代末期まで西太后の避暑地として利用され、共産党による中華人民共和国が1949年に建国後、1953年に公園として一般開放されました。

1998年にユネスコ世界文化遺産に登録。現在も故宮に並ぶ北京有数の観光名所です。

広さは290ヘクタールで東京ドームの62倍。故宮の4倍以上あり、本来は丸一日掛けても良い大きさです。
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手書きでなんか雑ですみません。これで広さがお分かりかと思います。

通常の観光コースは、東門から昆明湖を挟んで仏香閣を望み、通しチケットを買っていれば少し南に歩いて文昌閣と文昌院博物館を見学し、また北に戻って、西太后の住んでいた楽寿堂、長廊を経て万寿山の仏香閣へ上ります。
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仏香閣 : 乾隆年間 (1736〜1795年)創建。英仏連合軍により破壊され、西太后の時代に再建。2015年9月撮影。

昆明湖の全景を見て、蘇州街を抜けて北宮門出口に出るのが一般的なコースです。これでも2時間くらい掛かってしまいます。
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仏香閣から昆明湖を望む。2018年1月撮影。

時間に多少の余裕があれば、文昌閣からさらに南の十七孔橋を見たり、あるいは仏香閣からさらに西にある石舫を追加コースに入れます。夏場なら昆明湖を横断するボートを乗るとかなり機動的に回れますのでオススメです。
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石舫あるいは清晏舫(せいあんほう)と呼ばれている石の船です。1755年創建、1893年再建。

さて、今回は季節限定ですが、頤和園の観光の一つをご紹介します。

タイトルにある、”光のトンネル”と言うのは、東門から一キロほど南に下った十七孔橋で見られる光景です。
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十七孔橋(じゅうしちこうきょう)とは清代の乾隆帝(1736一1795)時代に作られた17個のアーチを持つ園内最大の橋です。長さは150メートル。欄干の獅子も544体を数え、盧溝橋の501体を超える非常に美しい橋です。

この橋の設計者が、毎年冬至の前後にこのアーチに夕日の光が射すように設計したのです。なんとも凄いことを考えたんですねえ。

中国語では、
金光穿洞
金光穿孔
红光穿洞
红光满洞
红桥洞
などの呼び方をされていて、日本語では近年「光のトンネル」と呼ばれているようです。
筆者Sはその絶景をなんとか写真に收めるべく奮闘して参りました。
さあ、それを時系列で追って見ることにしましょう。

撮影日は2017年12月24日(日)です。この年の冬至(一年で昼が最も短い日)は二日前の12月22日でした。

この日はクリスマスイブ。しかし、単身者には全く関係ありません(笑)。当日は朝から昆明湖の西側をテクテク歩いて、仏香閣前を抜けて、ようやく十七孔子橋前まで来ます。
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15:39 真冬で人もそれほど多くなく、一人のカメラマンが湖面からの風景を撮影しています。「おお〜あんたもイブなのに頑張るねえ、お互い良い写真が撮れるといいねえ」と心の中で意味不明なエールを送ります(笑)。
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15:46 まだ空も明るく時間もあるので、橋の手前の銅牛の写真を撮ったりなんかします。
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15:54 橋に到着〜。太陽が石獅子を射す感じがなんか良い感じです。なんとなく人が増えてきたような。。。
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15:56 橋の上から仏香閣を望みます。良い天気ですねえ。さあ、ここから目的の写真を撮影すべく、橋の反対側に渡ります。
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15:58 えっ!?
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15:59 え〜〜〜〜〜!!!???
なんと、物凄い人です。完全に出遅れです。
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16:01 人混みを分け入って撮影した記念すべき一枚目。「光のトンネル」はすでに始まっています。左上の枝はなに?道理でこのポイントにすすっと入れたわけです(苦笑)。インスタ映えしないので場所を移動します(笑)。
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16:04 前列までとても行けないので背伸びしてカメラを上にあげての撮影です。撮った写真のほとんどはブレブレになってしまってなんとか形になった一枚。この写真から17のアーチすべてにきれいに光が射し込んでいるのが分かります。しかし、光そのものが明るい状態で個人的にはまだ好みの色じゃありません(苦笑)。
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16:12 もっとベストポジションがないかと後ろに回ったら返ってひどい結果に。。。時間だけが無情に過ぎます。
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16:28 橋から昆明湖沿いにかなり離れたところから撮影。一番右のアーチが欠けてしまいました。。。
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16:36 このあたりがピークだと思います。色も赤く染まってきてまだ17のアーチにぎりぎり光が入っています。
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トリミングしてみました。素晴らしい景色が目の前に広がります。天文学を知り尽くした橋の設計者は天才です!本当に感動ものです。
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16:48 深い赤色になってきてとてもきれいですが、アーチから光が一つまた一つと消えていきます。記事にするような写真としてはもう使いものになりません。
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16:49 前の写真からたった一分。あっという間に「光のトンネル」は終わりを迎えました。
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16:55 日が沈みます。今から100年以上も前、西太后や光緒帝も同じ景色を見たのでしょうねえ。
この時期に頤和園にお越しの際はぜひ日の入りまで残ってこの「光のトンネル」を楽しまれてみてはいかがでしょうか?
それではまた次回の連載をお楽しみに〜。
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後編:北京あんてぃーく倶楽部オフ会活動報告(河北省唐山)

2018/04/07 22:53
河北省唐山めぐりの後編です。

午後の初めは「唐山博物館」。
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大きな博物館で、中央に毛沢東さまの像がすくっと立っておられます。
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唐山伝統文化の「皮影」、「評劇」の展示が充実しています。

次は「中国鉄路源頭博物館」。
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ここは光緒七年(1881年)敷設された唐胥鉄道の起点であり、「0」の文字が見えます。
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当時の駅舎も残っており、鉄道マニアにはたまらない場所ですね。

そして最後は「唐山地震遺祉紀念公園/唐山地震博物館」。
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唐山地震は1976年7月28日に発生したマグニチュード7.8の直下型地震で、24万人の方が犠牲になったと伝えられています。
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公園内に入るとまずは高さ7.28m、長さ493mの記念壁が目に入ってきます。犠牲になった24万人の方のお名前が記されています。

広大な公園を進むと一番奥には「国保・唐山機車車輛廠鋳鋼車間地震遺祉/唐山机车车辆厂铸钢车间地震遗址」が被災したそのままの状態で国保プレートと共に保存されています。
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そして「唐山地震博物館」です。
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たくさんの写真や当時の実物資料が展示されており、被災からの復興の経過を詳しく伝えています。

小雨はだいぶ雪混じりになってきました。天候も心配なのでこのあたりで唐山を後にして北京市に戻ります。
少々距離が遠く、なかなか行き難い唐山を十分に探査で来て大満足の1日でした。
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反省会ではスーパードライを片手に、明後日、日本へ帰任するメンバーと楽しい思い出話しがいつまでも続きました。それでは今日はこのへんで。また次回お会いしましょう。
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前編:北京あんてぃーく倶楽部オフ会活動報告(河北省唐山)

2018/04/07 22:51
2018年3月オフ会活動のご報告です。今回は「河北省唐山市めぐり(前編)」です。
天気予報は季節外れの「雪」。。。
少々肌寒い1日でしたが、15名のメンバーが元気に参加しました。

■日時
2018年3月17日(土)

■実際ルート
0700北京市内集合
→国保・省保・天宮寺塔
→車軸山中学(国保・豊潤中学校旧址と国保・寿峰寺)
→ランチ
→唐山博物館
→中国鉄路源頭博物館
→唐山地震遺祉紀念公園・唐山地震博物館(国保・唐山機車車輛廠鋳鋼車間地震遺祉)
→北京市内・反省会
※国保=国家文物保護単位、省保=河北省文物保護単位

早朝、北京市内に集合して、借切りバスで「河北省唐山市」に向かいます。
唐山市は1976年の唐山地震でよく知られますが、北京の東北東方向に約180km、中国近代工業発祥の地として炭鉱、製鉄、陶業などが早くから起こり、総人口759.6 万人(2016)の河北有数の大都市です。

あんてぃーく倶楽部的には、明代に既に製陶業が始まり、「景徳鎮」とならぶ「北方の陶都」と称されたあたりに惹かれます。また中国共産党創設の主要メンバーだった李大サ氏(1888-1927年)の生まれ故郷でもあります。

そんなこんなでまずは「国保・天宮寺塔」に到着。
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公園内の石碑を見ながらお目当ての塔に向かいます。
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さっそく、省保プレートを見つけて撮影。
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天宮寺塔:遼代清宁元年(1055年)創建。立派な塔です。
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各自思い思いに塔の周りを散策してはカメラに収めます。
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こんな龍の装飾がされています。
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国保プレートもゲットしてもう一度みんなで記念撮影。

次は20分ほど南に下ったところにある「車軸山中学」です。
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ますは車軸山中学の立派な門、ここから入ります。
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1903年建学の現役中学で、許可を頂いて見学させていただきます。
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広い敷地の西側半分が「国保・豊潤中学校旧址」になっており、この豊潤中学校旧址の北端に小山があり、山頂部に「国保・寿峰寺」があります。
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まっすぐ進むと「通称・大紅門(赤門)」。この両サイドに豊潤中学と寿峰寺の国保プレートがあります。
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山頂部の寿峰寺が近くに見えてきます。しっとりした品の良さを感じつつ歩きます。
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またまた立派な門をくぐると校史館です。
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100年前の建築物。どの建物もとても趣きがあり見入ってしまいます。

続いて老図書館です。
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「学無止境」と書かれた石碑。

現役で使用されている教室の左右の階段を上ると山頂部の「国保・寿峰寺」です。
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寿峰寺は無梁閣(遼代重熙六年/1037年)、薬師霊塔(遼代重熙六年/1037年)、文昌閣(民国年間/1913年)の3つから構成されています。
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薬師霊塔はオシャレな華塔様式、無梁閣は存在感たっぷりの独特のスタイルです。

遠目から3つの建物を押さえます。
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お腹もすいたので重慶火鍋で昼食。
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みぞれ混じりの小雨になりましたが寒い時には火鍋ですね〜
後編に続く〜
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第52回北京あんてぃーく倶楽部活動予告(潭柘寺、戒台寺)

2018/04/03 22:41
2018年4月活動のご案内です。

■日程:2018年4月22日(日)

0730 ケンピンスキーホテル(亮馬橋店)
0745 建外SOHO A座 
0830 潭柘寺(国)、潭柘寺塔林
1130 昼食
1300 戒台寺
1530 盧溝橋
1800 北京市内、反省会

■応募締切:4月16日(月)

4月は門頭溝区の潭柘寺と戒台寺です。PACでは過去にも訪問していますが、今回は時間を取り、潭柘寺の塔林をたっぷり見学します。塔林は日本人僧侶の塔やフビライの娘、妙厳公主の塔などを見学します。

盧溝橋は、欄干の上にある約500体の石獅子の時代考証をします。金代1192年に完成した盧溝橋はその後何度も修復を繰り返し、石獅子は金、元、明、清、民国、現代と6時代の石獅子が共存していますので、その違いを楽しみましょう。

いずれも少し不便な場所にありなかなか訪問出来ないところです。
ぜひこの機会にご参加ください。

■応募方法:参加出来る方は椎野までご連絡下さい(微信可)。
※また初参加の方は、下記メールアドレスまでご一報ください。
※メールアドレス:shiino@bjnt.com

皆様のご参加をお待ちしております。
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第51回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(銀山塔林・白浮泉遺址他)

2018/03/21 01:38
2018年3月PAC活動のご報告です。
今回の北京あんてぃーく倶楽部活動は「昌平区めぐり」です。
少々肌寒い1日でしたが、13名のメンバーが元気に参加。

■日時
2018年3月11日(日)

■実際ルート
0730北京市内集合
→国保・銀山塔林
→国保・白浮泉遺址(九龍池、都龍王廟)/龍山度暇村ホテル内
→区保・西沙屯薬王廟;
→市保・朝宗橋
→区保・清代大碑・楊増新(1864-1928)墓碑
→区保・南一村清真寺
→康熙行宮(北京温都水城)
→1730北京市内/反省会
※国保=国家文物保護単位、市保=北京市文物保護単位、区保=昌平区文物保護単位

早朝、北京市内に集合して、貸切バスで「国保・銀山塔林」に向かいます。
しかし、ここは2014年から修復のため閉園が続いていて、残念ながら未だに閉園でした。
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ちなみに銀山塔林は昌平区の中心から更に東北へ30kmに位置し、もともとは唐代に華厳寺が建てられたのがその始まり。遼代にはここに宝岩寺が建てられ、金代には延聖寺として再興され、明代(1429年)に法華禅寺と改称されたとのことで、境内にはたくさんの塔(周辺含めて18座)があり、塔林と呼ばれています。隆盛時、銀山の山麓には72座の塔が建ち並んでいたそうです。
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その雄姿に思いをはせて次に向かいます。

気を取り直して次は「国保・白浮泉遺址(九龍池、都龍王廟)」へ。
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ここは元大都の水源として、元二十九(1292)年に元代の天才・郭守敬(1231年-1316年、天文学者、数学者、水利学者)によって作られた「水がめ」です。現在は広大な新城賓河公園内に有り、未だに悠々と水を湛えています。往時を思いながらまずはここで記念撮影。
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いろいろ調べた結果、国保プレートや都龍王廟は龍山度暇村ホテル内に有ることが判明。
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しかしここも工事中ということで敷地内に入って確認することはできませんでした。また、敷地内の寺廟らしき建物についても全く情報がなく、下から眺めるだけでした。

次は「区保・西沙屯薬王廟」です。沙河小学校の隣りにあります。
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ひっそりと残っていますが、山門は風格があります。唐代の創建で、かつては“京北第一大薬王廟”と呼ばれたとのことです。
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ただ、残念ながら中には入れず、門の隙間から少しだけ覗いて撤収です(笑)。

バスは徐々に市内方向に進んでいきます。「市保・朝宗橋」です。午前中の撮れ高が少なく(笑)、今回の参加者で未訪問の人もいたので寄りました。PACではお馴染みの橋です。
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昌平区の中心から南に10km、巩华城(鞏華[きょうか]城)のすぐそばにあり、多くの車が往来して現役の橋として機能しています。明代創建で、盧溝橋、永通橋(俗称八里橋)とともに京師三大橋梁と讃えられる七孔石橋(7つのアーチのある橋)です。見てください、この立派なお姿(笑)。
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橋の北端東側には明万歴四年(1576年)に建てられた高さ4mの大きな漢白玉の石碑が残っており、「大明、朝宗橋」の文字が刻まれています。
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続いて「区保・南一村清真寺」へ。
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残念ながらここも未開放でした。今日は全部入れない。厳しい〜(笑)。
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明代の創建で沙河地区唯一の清真寺とのことです。そばには「区保・清代の大きな墓碑」もありました。
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フェンスで囲われた遠くにプレートが見えます。
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撮影した文字を拡大してみると、楊増新(1864-1928)墓碑であることが判明、楊増新は光緒年間に科挙合格して各地の行政管理に功があった方で、当地に眠るとあります。まだまだ知られていない遺祉がたくさんあるんですね〜。

そして最後は「康熙行宮」。
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“北京温都水城”の広大な区画の中に有ります。
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もともとは康熙帝の行宮(休憩所)として康熙五十(1711)年に建設されたとのこと。
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現代の作でしょうが、ホテル内にあった九龍壁もなかなか精巧な作りです。
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現在、付近はホテルやレジャーランドとして大規模再開発がなされ、別の意味で往時を偲ぶ繁栄ぶりとなっています。
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夕方、1730、北京市内に到着。いつものお店で反省会。今春で北京を離れるメンバーも複数おり、アサヒビール片手にいつまでも思い出話しに花が咲きました。

それではまた次回。
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第50回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(河北省琢州市・三国志めぐり)後編

2018/03/02 23:35
<後編>
さあ、午後はいよいよ「三国志関連史跡めぐりです」。

ちょっぴり復習しておくと、
「三国時代」とは、ざっくり西暦220年(曹丕が魏王朝建国/後漢滅亡)〜221年(劉備・蜀)〜263年(魏により蜀滅亡)〜265年(司馬炎が晋建国/魏滅亡)までの時代のこと。

有名な「三国志」のあらすじは、西暦180年頃、世は乱れ、各地で「黄巾の乱」とよばれる民衆の反乱が起きる。
劉備、関羽、張飛が義兄弟のちぎりを結び(桃園の義)官軍に義勇軍として参加。
劉備は三顧の礼で諸葛亮を軍師に。赤壁の戦い(208年)後、中国全土は、曹操(魏)・劉備(蜀)・孫権(呉)のに三分され『三国志』の原型となる。
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(写真は三義宮内の劉備、関羽、張飛像)

関羽は曹操・孫権の結託により捕らわれて処刑され、蜀皇帝・劉備は、関羽に対する恨みを晴らす為、孫権(呉)に攻め込むが張飛が暗殺され大敗。
劉備は諸葛亮に後を託し病死。諸葛亮は劉備(蜀)の跡を継ぎ、魏に戦を仕掛けたが5度目の北伐・五丈原の戦いで諸葛亮が死去。

三国志の話はここで終わります。
(※メモ:前221年秦始皇中国を統一。前206年前漢。25年後漢、184年黄巾の乱)。その後、魏の晋王・司馬炎が魏を滅ぼし晋を建国し、さらに呉を滅ぼして晋が中国全土を統一(280年)。316年西晋が滅亡、五胡十六国時代・南北朝時代へ。589年隋が天下を統一と続きます。

まずは「張飛廟(市保/始建年代不詳)」へ。
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街道沿いには入り口を示す立派なオブジェ。
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みんな楽しそうに思い思いに記念撮影。

続いて張飛廟の入場券20元を買って入場。
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しっかり琢州市文物保護単位プレートを押さえて、張飛井戸へ。
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古い石製井戸枠が残っています。
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お話とすると「張飛は肉屋さんを営んでおり、この井戸を冷蔵庫代わりに使っていたが、ある日、ここを通りかかった関羽が重さ200kgの石の蓋を軽々持ち上げて肉をもって行ってしまう。これに張飛が激怒、劉備が仲裁することに。こうして3人の友情が始まった」ということになっています。
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その様子が周辺の壁の絵でわかりやすく説明されています。
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井戸の横には清代康煕39年(1700年)に張飛慰霊祭をした際の記念碑があります。
この石碑がここでは一番古い年代の物ではないでしょうかね〜。
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張飛故居なんていうのもあります。出来たてホヤホヤっぽいです(笑)。
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みんなでかなり重たい槍や刀を持ってポーズ(笑)。
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ここには張飛廟(張飛墓)もあります。

張飛廟を満喫して次は大通り沿いの「三義広場」で下車。
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ここは遺祉ではないのですが、村のランドマーク。劉備、張飛、関羽の雄姿がそそり立ちます。お年寄りにも人気の広場です。

いよいよ本日クライマックスの「敕建三義宮(省保)」です。
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隋代始建で1996年再建ですが、なかなか立派なつくりです。
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場内にはあちこちに劉備、張飛、関羽、三人に関する造作があり、「桃園の誓い」前で3人ずつ思い思いにお誓いポーズ(笑)。昔ながらのぐい呑ではなく今時の缶ビールで各チームは一体何を誓ったのでしょうか(笑)。
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ちなみに桃園の誓いが本当にここであったかどうかは諸説あるようです。
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九龍碑。明代。
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裏側のレリーフも立派です。

最後は流石、ここで終わらない「北京あんてぃーく倶楽部」。大樹楼桑村へ向かいます。大樹楼桑村は劉備玄徳が生まれた村。村内には忠義路、玄徳路など「あんてぃーく倶楽部」心をくすぐる地名が残ります。

目的地の「漢昭烈皇帝劉備故里」碑に到着です。
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1996年に建てられた石碑が畑の真ん中にポツンとあるのですが、劉備玄徳が生まれた村を訪れたこと自体に意味があると皆満足。

場所がわかりずらいです。百度地図のアプリでは村の名前しか出てきません。
今回は訪問歴のあるメンバーが事前に教えてくれて助かりました。
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三義宮からですと三義広場まで戻り、手前の三義街を左折(南に下る)、松高路を左折して、琢白路(琢は当て字です)をまた左折し北に少し上がり玄徳路を右折します。そうすると村名の道路標識が出てくるのでその先左手の幼稚園の近くです。
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別の道から行こうとすると、バスなどは高さ制限で入れない道があります。お気をつけください。

ちなみに劉備、張飛、関羽の故郷は
・劉備玄徳:河北省琢州市大樹楼桑村
・張飛益徳:河北省琢州市忠義店村
・関羽張雲:山西省運城市常平郷常平村 です。

風もなく穏やかな早春の一日を無事、楽しく過ごすことが出来ました。
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最後は北京市内に戻り反省会。スーパードライで乾杯しつつ、楽しい会話が続きます。

お疲れ様でした。今日のところはこの辺で。
また次回、お会いするのを楽しみにしています。
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第50回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(河北省琢州市・三国志めぐり)前編

2018/03/02 23:31
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2018年2月PAC活動のご報告(前編)です。
記念すべき第50回北京あんてぃーく倶楽部活動は「河北省琢州市・三国志めぐり」です。春節も明けて、すっかり暖かくなり、15名のメンバーが元気に参加。晴天の一日を楽しみました。
尚、昨年12月の活動報告同様「琢州(たく州)」の「琢」は、本来「氵」が正しいのですが、文字化けするため便宜上当て字にしています。

■日時
2018年2月25日(日)

■予定スケジュール
0720ケンピンスキーホテル(亮馬橋)
0745建外SOHOA座(国貿)
0930琢州下胡良橋(国保)
1000琢州清行宮(省保)
1100琢州学宮(省保)/予備:天国寺、泰宁宮
1200昼食
1330琢州張飛廟(市保)、三義宮(省保)、劉備碑(大樹楼桑村)
1830北京市内/反省会
※国保=国家文物保護単位、省保=河北省文物保護単位、市保=涿州市文物保護単位

■実際ルート
0720ケンピンスキーホテル(亮馬橋)/0745建外SOHO(国貿)集合
→琢州市(下胡良橋(国保/明万歴二年公元1574年)
→清行宮(省保/1751年乾隆帝宿泊処)
→天国寺
→鼓楼大街(劉備玄徳、張飛益徳が闊歩)
→琢州学宮(省保/唐大歴初年始建孔子廟)
→桃園飯店(既に取壊され未発見)
→昼食
→張飛廟(始建年代不詳/張飛井戸/張飛墓)
→三義広場/劉備、関羽、張飛の銅像
→敕建三義宮(省保/始建隋代/桃園の誓い)
→劉備故里石碑(大樹楼桑村/劉備が生まれた村))
→北京市内/反省会

快晴、朝の気温は▲6度C。
誰も遅刻することなく15名が集合して、いつものマイクロバスで琢州市の下胡良橋(国保)と琢州清行宮(省保)に向かいます。

実は昨年2017年12月9〜10日に「房山張坊鎮・清西陵・琢州めぐり」を実施した際に時間切れ等で参観できなかった2ケ所をフォローアップします。

まずは「下胡良橋 (国保) 」。
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明万歴二年(公元1574年)建設、ちょっと落書きもありますが、横から撮影するとこの通り立派な姿です。
電線がじゃましてメンバーが撮影アングルに苦労(笑)。しゃがんで撮ったりしています。
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次は「清行宮(省保)&薬王廟」へ。
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ガビ〜〜ン。春節休みなのか閉館でした!
2017年12月10日に訪問した際には昼休み休憩中で閉館、何と二連敗です(笑)。
ひょっとしたら年間通じて閉館中なのかもしれません。
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清行宮は明嘉靖年間創建、乾隆十六年(1751年)に乾隆帝が泊まった場所です。
メンバー一同諦めきれずに周囲をぐるっと回ります。
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でもやっぱり諦めて「乾隆行宮影壁」と「行宮正門」の前で集合写真を撮って撤収〜(笑)。

そして時間調整含めて「天国寺」へ。
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地図でルートを調べている際に見つけたお寺で、その名前に惹かれて訪問。
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元々の名前は雲居禅寺で唐代創建の千年古刹。
長い年月の間に風雨や戦火で焼け落ち今はかつての痕跡は残っていない。
その後、当地に再建されたが、なぜ天国寺と改名したかは不明とのこと。
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「鼓楼大街」です。
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ここは琢州城の中心部。
その昔、この大通りを劉備玄徳や張飛益徳が闊歩したのかな〜。
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「学宮(省保/唐大歴初年始建)」です。
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鼓楼大街からすぐ近く。敷地内には「大成殿、戟門、泮池橋(元至正二年/1342年)」が残っているはずですが、ここもクローズで正門で集合写真を撮って撤収〜。
地図には隣接して孔廟もあるようだったので、いろいろ聞き歩きましたが結局、その孔廟の一部として学宮が残っているのみのようです。

次は「桃園飯店」を目指します。
ここは別のブログで敷地内にいろいろな造作があり面白いとの情報があり、また昼食もとれそうなので捜索開始。
しかし資料の住所に行ってみるもその影は無し。
地元の人の話では桃園飯店は既に無くマンションになったとか。
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丁度、近くに手ごろなレストランがあったのでここで昼食。
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たくさん食べて飲んで1人何と33元でした〜満足、満足!

午後はいよいよ「三国志関連史跡めぐりです」
後半に続く〜。
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<北京の世界遺産めぐり>故宮博物院西側エリアを徹底解剖

2018/03/01 18:58
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今回は北京故宮博物院のご紹介です。

北京故宮は1987年12月ユネスコ世界文化遺産登録されました。
通常ですと故宮観光に費やす滞在時間は2〜3時間から長くて半日というところでしょうか?
その場合は、大体大和門、大和殿からなる中心線と右(東)側の有料観光となっている九龍壁を見るのが定番です。
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故宮九龍壁。清代1772年。北京北海公園と大同の九龍壁と合わせて中国三大九龍壁の一つ。2014年撮影。

日本では特に浅田次郎著「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」が有名になり、北東端に位置している珍妃井を見に行かれる方も多いのではないでしょうか?
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珍妃井。光緒帝の側室であった珍妃は1900年八カ国連合が北京に迫った時にこの井戸に落とされ溺死した。2014年撮影。

さらに時間があれば西側の西太后の住まいだった儲秀宮を見て、北側の神武門から出て観光終了となるのが一般コースかと思います。

今回はこれまで訪問出来ていない古橋や西側建築関係を中心に見て回りました。

訪問日;2018年2月22日

本来春節明けの平日ですが、訪問者Sの会社は振替休日だったのでした(笑)。平日なので空いてると思って行ったのですが甘かったです。。。
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朝0840でこの行列。まだまだ世間は春節期間です。ただ、春節対応で検査ゲート数が倍になっており、15分程度で通過出来ました。
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しかし、また関門。当日チケットがQRコードで全部ネット購入になっていました。
自分で無事買えて良かったですが、Sは中国語が苦手。すこしビビリました。
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今までのチケット売場は閑散としてます。

あとであんてぃーくメンバーが教えてくれたところによるとチケット売り場と反対側の東側に外国人専用チケット売り場があるようです。
しかし、故宮の訪問は現在1日8万人限定。行かれる方は前もってしっかり確認することをお勧めします。
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さあようやく入場。大和門前の5本の橋は午門内金水橋、1690年清代。

正面には目もくれずに(笑)、まずは向かって右(東)側の東華門方面へ。
このエリアには3つの古橋(三座門三石橋、東華門内石橋と半辟橋)があります。

三座門三石橋はまだ未開放でした。
故宮は残念ながらまだすべてのエリアが開放されているわけではありません。
2015年の開放エリアは総面積の60%に留まっていました。
2016年は76%、今年2018年は全体の80%を超えるエリアが開放される見通しになっています。
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東華門内石橋は明代の橋。東華門の前に位置しています
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すぐ近くに九壇八廟の一つ、伝心殿があります。今は、古建部になっておりますが、これも残念ながら入れませんでした。ちなみに八廟は太廟,奉先殿(故宮),伝心殿(故宮)、寿皇殿(景山公園)、雍和宮,文廟(孔廟),堂子,歴代帝王廟。
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奉先殿は現在有料の時計展示館になっている場所です(今回未訪問、2014年撮影)
堂子は今の北京飯店に位置していたようですがすでにありません。
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半辟橋は協和門すぐ横にある橋です。これも故宮内の一般通路で使われていた橋です。
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この後、もう一度中央を通って西側に階段がある午門を初めて上りました。
上からの眺めもなかなか壮観です。
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西の角楼は途中までしか行けません。
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東の角楼は中まで入れます。
中では角楼が建てられるまでの模型ビデオが流れています。
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その先はさっき行ったばかりの東華門。中は展示室になっていてなかなかの充実ぶり。
しかし、そこから下りるので、また振り出しになってしまいました。。。
最初から午門行けば良かったです。
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もう一度、大和門を見ながら西側の武英殿に到着。こちらには武英殿三石橋と断虹橋の2橋が目的です。
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武英殿三石橋、明代初期。
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そのすぐ東側にある断虹橋。元代あるいは明代初期の橋。故宮内で最も古い橋です。
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全長は18.7mでそれほど大きな橋ではありませんが、橋の両脇に位置する石獣や双龍の彫り物は非常に精密で素晴らしく、ずっと見ていても飽きることがありません。立ち去るのが惜しいくらいです。
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今は欄干の両脇がマットで保護されています。すでに700年余り前の貴重な橋ですから保護は重要ですね。しかし、せめてガラスカバーにして貰って彫刻が見えるようにして欲しいところです。
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その先に中国語で氷窖(Bing1 Jiao4)と呼ばれるかつて氷を保存していた氷室あります。現在はカフェになっています。何か買わないと中に入れないので12元の飲料水で休憩(笑)。

定食は58元だったと記憶。大した料理じゃなかったけど(笑)、家族連れは食べるところも少ないので結構注文してましたね。

雰囲気やレベルともに景山公園奥にある恭倹胡同の皇家冰窖が全てに勝っておりますが、話しのネタには良いのでぜひ立ち寄って見てください。
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しばしの休憩の後は、慈寧花園。太皇太后、皇太后や皇太妃らの憩いの場だったところです。
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或若館(清代)の中は皇太妃の儀式の場。ガラス越しで写真が撮りにくいです(笑)。

続いては彫塑館へ。
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彫塑館は2015年から常設していたんですね。全く知りませんでした。
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様々な時代の仏像を一同に集めており、狭いながら個人的には中国国家博物館の仏像コーナーより内容は充実しているように感じました。仏像ファンはここだけでも見る価値があると思います。
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寿康宮。清代。

そこから北に向かうと西六宮と言われる西太后や皇后の住まいがあった場所になります。

そして、その儲秀宮(ちょしゅうきゅう)へ。
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明代創建、清代改修。西太后が住んでいた場所で、すでに夕方4時近くでもさすがに混んでいます。
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ガラス越しの中の撮影がほんとに大変(苦笑)。カメラのフードをラバーに付け替えての撮影です。この塔に名前はついているのかな。欲しいなあ(笑)。

中央に戻ると交泰殿が目の前だったのでせっかくだから見学します。
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ようやく出口前の御花園に到着。御花園ニ亭橋を見ます。
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浮碧亭橋。明代。
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澄瑞亭橋。明代。

時刻はすでに1630。この時間になると係員から追い出しが掛かります。追われるように神武門を出て観光終了です。
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故宮はやっぱり凄いとあらためて実感。最近の観光は郊外に出ることが多かったのですが、灯台モト冬樹でした!
長々とお付き合いありがとうございました。
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第51回北京あんてぃーく倶楽部活動予告(銀山塔林・京杭大運河巡り)

2018/02/10 10:25
3月度の北京あんてぃーく倶楽部活動予告になります。
2月の活動実施前ですが、3月の実施日の都合上、早めの御連絡となります。

■日程
3月11日(日)

■スケジュール
0730 ケンピンスキーホテルロビー集合
0900 銀山塔林(閉園の場合は付近まで)
1100 白浮泉遺址(九龍池、都龍王廟)
1300 昌平市内で食事 
1400 文物石刻園
1530 半截塔
1700 ケンピンスキーホテル着 
(スケジュールは一部変更になる場合があります)

■注意事項
・山歩き出来るような格好でお越しください。
・一応、パスポートの携帯をお願いします。

■応募締切:3月5日(月)

■応募方法:参加出来る方は椎野までご連絡下さい(微信可)。
※また初参加の方は、下記メールアドレスまでご一報ください。
※メールアドレス:shiino@bjnt.com
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第50回北京あんてぃーく倶楽部活動予告(タク州・三国志巡り)

2018/02/02 22:49
2018年2月活動のご案内です。

2月は河北省涿州(たくしゅう)市です。
涿州は12月のPACで行きましたが、今回はその時に行かなかった三国志関連を中心に回ります。
涿州市は蜀の劉備玄徳と張飛の生まれ故郷です。
劉備、張飛、関羽の3人で義兄弟の契りを交わした桃園の誓いの碑などを見学します。

また、12月には中に入れなかった清行官へももう一度訪問します。


■日程:2018年2月25日(日)
訪問場所;三義宮、張飛廟、清行官、下胡良橋、泰寧宮などを予定。
日程は別途御連絡となります。丸一日の活動になります。
※必ずパスポートを携帯ください。


■応募締切:2月17日(土)


■応募方法:参加出来る方は椎野までご連絡下さい(微信可)。
※また初参加の方は、下記メールアドレスまでご一報ください。
※メールアドレス:shiino@bjnt.com


皆様のご参加をお待ちしております。

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第49回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(国家博物館見学&新年会) 2018年1月PAC活動のご報告

2018/01/27 12:55
2018年1月PAC活動のご報告です。
明けましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

■日時
2018年1月21日(日)

■スケジュール
0930地鉄・天安門東站D出口集合
1030中国国家博物館見学
1230「泰豊楼飯庄」で新年会ランチ
1400解散、その後、有志による散策

本年最初の活動は「中国国家博物館」見学と老北京八大楼の1つ「泰豊楼飯庄」で新年会です。
昨日までの暖かさはどこへやら、寒い朝になりましたがメンバーが続々と集合地点の地下鉄駅に集まってきます。
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中国国家博物館のみ参加、新年会のみ参加という方を含めて総勢で24名が参加(季節柄、風邪などで急遽欠席の方もいて残念)。
まずは中国国家博物館のチケット配布窓口に並びます。
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0930に駅に集合して安全検査を通過しチケット配布窓口でチケットをゲットして1015やっと中国国家博物館に入場です。
先ずはいつの間にか出来たキンキラキンの天壇祈念殿オブジェの前で記念撮影。
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1145に再び天壇祈念殿オブジェ前集合ということで、地下1階にある中国歴史の基本展示コーナーを中心に各自自由に見学開始。
今回は中国国家博物館に収蔵されている重要文物の資料を事前配布、意識して探しながら見ていきます。重要文物25点はこれら。
1 马家窑文化彩陶舞蹈纹盆
2 马家窑文化彩陶贴塑人纹双系壶
3 仰韶文化彩陶网纹船形壶
4 红山文化玉龙
5 彩绘鹳鱼石斧图陶缸
6 陶鹰鼎
7 仰韶文化彩陶人面鱼纹盆
8 子龙鼎
9 四羊方尊
10 嵌绿松石象牙杯
11 后母戊铜鼎
12 天亡簋
13 利簋
14 大盂鼎
15 虢季子白盘
16 莲鹤方壶
17 包金镶玉嵌琉璃银带钩
18 诅盟场面贮贝器
19 “滇王之印”金印
20 “赤乌十四年”款青釉虎子
21 绿玻璃盖罐
22 绿玻璃小瓶
23 陶骆驼载乐舞三彩俑
24 青釉仰覆莲花尊
25 孝靖太后凤冠

古代からスタートして、まずは有名な鷹形陶鼎(紀元前5000-3000)。
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びっくりの古さです。尚、ほとんどの中国の博物館はフラッシュなしの撮影が許可されていますので遠慮なく貴重なお宝の数々を写真に収めていきます。
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次々に会員から発見した重要文物の展示写真がグループチャットにアップされてきます。
青銅器コーナーでもたくさんの重要文物をゲット。青銅器は3階にも常設展示場があります。
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そして、金印、唐三彩、冠などなど。
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その他の文物も勿論、見応え十分です。残り時間あと僅かなのにまだ西周時代だったりしてちょっと急ぎ見て回る会員も(笑)。
あっという間に集合時間の1145になりみんな集合。事務局の連絡不備もあり、朝の全体撮影に間に合わなかった方々も含めてもう一度記念写真を一枚。
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何度見ても見方のテーマを変えたり、一緒に見て回る人が変わったりするだけで本当に楽しいものです。
結局、この日に会員が見つけ出してきた重要文物リストの25点中で19点を確認。その中には、中国から国外持ち出し禁止の第一級文物も数点拝めることが出来ました。
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まだまだ見たい気持ちはありますが博物館を出て、さあ次は前門西にある老北京八大楼の1つ「泰豊楼飯庄」で新年会です。

博物館を出て天安門広場の横を通過してすぐ「市保・京奉鉄路正陽門東車站」でプレートを参拝します。
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昔々、西太后がここから汽車で天津に行ったとか。

次は前門正面「国保・正陽門」にお参り、いつ見ても威容を誇ります。
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そして前門入口にあるシルクの名店「市保・謙祥益旧址」、今でもシルクのチャイナドレスをオーダーメイドできます。
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ついでに廊房頭条の北京坊へ。ここには清代の宝石商・金店や勧業場旧址などが残ります。
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数年前まで荒れ放題でしたが北京五輪前後から修復、再開発が開始され最近、かつての威容を取り戻しています。
すぐ裏は塩業銀行旧址と交通銀行旧址。いずれも市保です。近くではMUJIホテルが開業を待ってました。
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ついつい寄り道していてレストラン予約の時間が迫って来ましたので急ぎます。
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予約時間ぴったりの1230に到着。泰豊楼飯庄は歴史あるレストランで光緒初年(1875年)創業の山東料理店。
清代には北京八大楼(八大名店のような意味)の1つとして名声を博し、袁世凱や蒋介石など著名人も多く美味を楽しんだそうです。
ちなみに諸説はありますが、一般的には北京八大楼とは泰豊楼、東興楼、致美楼、鸿興楼、正陽楼、新豊楼、安福楼、春华楼を指し、
このうち、泰豊楼、東興楼の2店が現在でも営業を続けています。
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3テーブルに分かれて美味しい、そしてどこか懐かしい味を堪能しました。
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また飛び入りでこの日の夜便で日本にしばらく帰国する会員も駆けつけてくれました。
会長メッセージや今季上期予定などの披露もあり無事終了。

そしてここで一応予定は終了なのですが、簡単には終わらないのがPAC、午後の部に突入します。ほとんどの会員が参加します。

まずは昨年晩秋に行った宣化古城の察哈爾(チャハル)民主政府旧址にちなんで察哈爾(チャハル)銀行旧址(1917年)を見学。近くの前門西河沿街にあります。
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次は楊梅竹斜街にある「泰豊楼飯庄旧址」を見学。今はユースホステルとして利用されているようですが、はいそうです。先ほどのレストラン「泰豊楼飯庄」のもともとのお店です。
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次は「国保・大柵欄商業建築群」を散策。シルクのお店に入ったり、お茶の名店「張一元」に寄り道したりと楽しく散策。
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続いて、会員のリクエストで北京で一番狭い行止まり胡同である「区保・銭市胡同」へ。ここはちょっと入口がわかりにくいですね。
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狭くて行止まりだからこそ、お金を持ち逃げされないために好都合で、清代に両替商が軒を連ねたそうです。
ちなみに幅70センチ。近々、銀銭業博物館に生まれ変わるとの張り紙も出ていました。
寒くなってきたので次は「源昇号・二鍋頭博物館」へ。
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ここはもともと「源昇号」と言う名前の白酒醸造蒸留場だった所で現在は博物館になっています。
1949年に市内にあった12の白酒醸造蒸留場が赤星二鍋頭として統合されたそうです。
ここでちょっと白酒3種類を無料試飲。醸造蒸留場跡の現物や旧ラベル商品展示などかなり楽しめます。最高アルコール度数は67度!寒い日には温まって良いです(笑)。
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ちょっと温まったところで台湾会館(1896年創設)へ。
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北京には地方から出てきて科挙試験を受験する為の宿泊施設として各地域の会館が多く存在しますが、台湾籍の方も32人の方が科挙試験に合格していたそうです。

すっかり夕方になりました。
今日のところはこの辺で。また次回、お会いするのを楽しみにしています。
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北京あんてぃーく倶楽部(PAC)歴代活動一覧

2018/01/23 11:26
PAC創立から2017年12月までの活動で回った場所を列挙しました。まだ行けてない、見れてない北京がありましたら、以下の場所から選んで行かれてみてはいかがですか?

■2013年度
第1回(7月)古玩城(華威橋)
第2回(9月)古陶文明博物館見学
第3回(10月)北京大学サクラー記念館、西単中国書店
第4回(11月)肥沼特別顧問を囲む会
第5回(12月)清西陵、荊軻塔、戦国燕国の長城遺跡

■2014年度
第6回(1月)中国国家博物館、古玩城
第7回(3月)北京紫檀博物館、高壁店家具街
第8回(4月)石家庄 正定古城、河北省博物館
第9回(5月)南崗ワ橋、鎮崗塔、盧溝橋、宛平県城、中都水門関、中都城壁
第10回(6月)北京中国会、首都博物館
オフ会(6月)広済橋、上庄東岳廟、龍泉寺、醇親王墓、大覚寺
第11回(7月)西山八大処、法海寺、田義墓、宦官博物館
第12回(8月)中国国家博物館
第13回(9月)琉璃河大橋、西周燕都遺跡博物館、良郷塔、関帝廟(房山)
第14回(10月)長椿寺、報国寺、宝応寺、崇効寺蔵経閣、牛街礼拝寺、法源寺
第15回(11月)永通橋及石道碑、粛慎親王敬敏墓、張翼祠堂、十方諸仏宝塔
第16回(12月)清西陵、荊軻塔見学

■2015年度
第17回(1月)昌平区博物館、朝宗橋、古代銭幣展覧館
第18回(3月)雲居寺
第19回(4月)(銀山塔林)、文物石刻園、白浮泉宮遺址、朝宗橋
第20回(5月)潭拓寺、戒台寺、三官閣過街楼  
第21回(6月)碧雲寺、竹園賓館
第22回(7月)首都博物館、白雲観、定慧寺、慈寿寺塔
第23回(9月)金陵、十字寺遺址、周口店
第24回(10月)白龍潭龍泉寺、冶仙塔、護城古堤遺址、密雲博物館
第25回(11月)中国国家博物館
第26回(12月)清西陵、満城漢墓、保定市博物館

■2016年度
第27回(1月)清農事試験場旧址、北京石刻博物館、海淀区博物館
第28回(2月)姚広孝墓塔、常楽寺、豊台娘娘廟、金中都水関博物館、金中都城遺跡
第29回(3月)霊厳寺大殿、双井寺、川底下村、霊岳寺
第30回(4月)慈善寺、法海寺、田義墓(宦官博物館)、承恩寺、皇姑寺、老山漢墓
第31回(5月)定州、開元寺、定州貢院、元代清真寺、唐代文廟、中山漢墓、明代城門
第32回(6月)雲居寺、漢白玉文化芸術宮、賈公祠
第33回(7月)白瀑寺、恭倹氷窯
第34回(8月)万佛堂、孔水洞石刻及塔、鉄瓦寺
第35回(9月)慶豊關遺址、張家湾城壁遺址及通運橋、張家湾清真寺、燃灯塔、永通橋、南新倉、匯通祠
第36回(10月)鳳翔寺、紅螺寺、甘澗峪古建築遺址群(朝陽庵)、鹞子峪城堡
第37回(11月)頤和園、北圩金山寺、団城・健鋭営演武庁
第38回(12月)清西陵、紫荊関、燕下都遺址、燕子塔、鎮霊塔、琉璃河大橋、西周燕都博物館

■2017年度
第39回(1月)中国国家博物館、東交民巷
第40回(2月)南口城(李公墓、南口村清真寺)、居庸関雲台、和平寺、西貫市清真寺
第41回(3月)番字石刻、白馬関城堡、白乙化烈士記念館、超勝庵
第42回(4月)河北博物院、正定古城、曲陽北岳廟、曲陽修徳寺塔→一泊旅行予定(4/22-23)
第43回(5月)白水寺、姚広孝墓塔、常楽寺、万佛堂、孔水洞石刻及塔
第44回(6月)雲居寺、石経山
第45回(7月)龍泉寺、醇親王墓、孚郡王墓、香岩寺、広済橋
第46回(8月)妙峰山碧霞元君廟、門頭溝博物館
オフ会(9月)平津戦役天津前線指揮部旧址、安氏祠堂、董家大院、関帝廟、安家大院、石家大院、
        楊柳青民俗文化街、京杭大運河西青段、十四仓遗址、平津上闸
第47回(10月)連泉寺(未達)、金陵、鳳凰亭
オフ会(11月)宣化遼代壁画墓群、宣化古城(大新門/西門、拱极楼/南門、宣化九龍壁、宣化博物館・
        察哈尔民主政府旧址、宣化天主教堂、財神廟、鎮朔楼・鼓楼、時恩寺大殿、清遠楼・鐘楼、
        玉皇廟、宣化清真南大寺)、明代土木之変遺祉
第48回(12月)清西陵、張坊(宋遼戦道、極楽禅寺、五級密檐塔)、涿州(双塔、永済橋、古城壁、高家大院、
        清真寺、永安寺塔)
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2018年・新年のご挨拶

2018/01/20 10:05
皆様、新年あけましておめでとうございます。

北京あんてぃーく倶楽部の活動も2018年の夏で5年になります。その間、本体の活動はもちろんのこと、各小隊によるオフ会も頻繁に開催されるようになり、北京や北京の周辺にある歴史的文物に対する理解が深まり、北京をより深く好きになって来た方が増加していることを実感しております。

私自身は、2017年9月より、戦場をはるか南は広州に移しておりますが、今でも誰にも負けない北京ラブの気持ちを持ち、心は常に皆さんと同行しております。

今年2018年は、私が不在の機会が増えるため、山洞常任顧問と椎野事務局長を中心に、より深くより熱く北京あんてぃーく倶楽部の活動を皆さんの力で盛り上げていただければと願っております。行きたいところがありましたら、ぜひ山洞さん、椎野さんにご相談ください。きっと素敵なコースプランが仕上がってくることでしょう!

そして、5月と10月は、恒例の1泊旅行を開催できるように、私もより一層精進したいと思っております。

今年一年のPACのさらなる発展と皆様のご健勝を願って、新年の挨拶とさせていただきます。
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第48回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(清西陵・琢州ツアー)2日目後編

2017/12/23 17:18
お昼まではまだ時間があり、サクサクとスケジュールが進行していたので、清行宮と薬王廟を先に見学しようと行ってみましたが、なんと日曜日はどちらもお休み。嘘でしょ〜、日曜日以外誰が来るねん!
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文句を言っても開けてくれる人もいないため、しょうがないので侵入スペースを探すもちょっと無理そう。悔しい。
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気を取り直してアルコールエネルギーチャージのためランチへ。
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午後の一発目は博物館見学を予定。なので、その対面にある新疆料理のお店に入ります。
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メンバーが以前にも来たことがある店らしくシシカバブはないものの、羊腿肉を堪能しました。
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涿州市博物館は、パスポートを見せると無料で入れます(むしろ証明証不携帯だと入れない)。最近作られたのだと思いますが、田舎町にしては大変立派なデザイン性も高い博物館です。
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涿州は、三国志演義の「桃園の誓い」で有名ですが、地政学的にも非常に重要なポジションを占めているため、歴代王朝が重要視した城市でもあります。
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当然歴史的文物も数多く、ご当地ならではの豊富で貴重な展示物に、ほのかに頭に回ったアルコールとともに上質な時間を過ごせました。
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特に石刻展示が良かったですねー。
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この博物館周辺は、回民街のようだったので、散策がてら涿州清真寺に行くことにしました。途中、偶然にも元々の城壁門跡に当たる通会楼旧址を発見。ラッキー!
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だからプレートに落書きすんなって言ってんだろ、このピーって豊田元議員じゃなくても言いたくなるよね。
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清真寺は、そこからすぐの場所で。とてもシックで落ち着いた寺院でした。誰もいなかったので奥まで入って見まくり放題。

バスに乗り込んで、いよいよ最後のポイント永案寺塔に向かいます。随分と細道になって来て、これ以上はバスは無理という場所から歩きで目的地へ。
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片道1kmくらい歩いたのでしょうか。「まだかよー」と誰もが心の中で思った次の瞬間、右側にボロボロのイケてる古塔が現れて来ました。
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永安寺塔、遼代の創建。仏教舎利塔。刁窝郷塔照村北150m。当初、永安寺の境内にあった塔ですが、現在は塔のみ残存。当地の人からは「塔児照塔」と呼ばれています。八角密檐式実心磚塔。高さ20m。
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逆説的ではありますが、修繕されてないところに趣きがあります。メンバーで来たことがある人が、もう一つプレートがあるはずといって、目の前で埋もれていた石の発掘にとりかかります。
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するとどうでしょう、素敵な省保プレートが現れて来たではありませんか。最後の最後で良いことをしたね、我々。

日も暮れかかって来たので、急ぎ北京に向かって出発しますが、最後の最後でアクシデント。高速道路が事故のため封鎖されたようです。よくもまあこんなにしょっちゅう事故に出くわすよね。しかし、今は便利なツールがあります。きっちりアプリでルート確認して、回り道をして予定より約1時間半ビハインドでケンピンスキーホテルに到着しました。

これにてとっても楽しかった1泊2日のツアーは終了なのですが、ほとんどのメンバーが楽しさの余韻を引きずって反省会になだれ込みます。
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本当に本当に楽しいツアーでしたね。またしばらくPACロスになるんだろうな〜。

(終)
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第48回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(清西陵・琢州ツアー)2日目前編

2017/12/23 15:54
2日目(12月10日)

朝は清々しく起きたいものですが、やはり若干昨晩のお酒が胃に残っています。とはいえ、例年よりはシラフに近い感じです(笑)。
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腹ペコの嫁さんプレッシャーで7時スタートの朝食ビュッフェに定刻に向かいます。もう既にメンバーがいてセレクト中。まさかオープン前から並んだのか?
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かなりまともなビュッフェで、飲茶もあるし、スイーツも充実。ブラックのコーヒーさえあれば最高だったのですが、そこまで贅沢は言えません。個人的にはなんだか卵料理ばかり食べたような。

と、そこそこ褒めまくったホテルでしたが、16室抑えていたのでチェックアウトはさすがに時間がかかりました。横から別のお客さんの圧もガンガン来ます。8時45分出発予定が、9時出発に。ただ、最初の目的地は歩いて5分の場所。目の前の北拒馬河にかかる、永済橋です。涿州観光は経験者もいて、道案内してくれるので楽チン。
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永済橋。明の万暦二年(1574年)創建。別名を、大石橋。創建時は、「拒馬河橋」と呼ばれていました。長さ153m、幅8.5m、高さ4.2m、九孔石拱橋。清の乾隆二十五年(1760年)に、「永済」と改名。涿州八景の一つで、「拒馬長虹」と称されています。かつて乾隆碑や李鴻章手筆「永済橋」碑などあったようですが,革時に壊された模様。
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最初に北側からアタックしてみますが、入口を結構頑丈にふさがれています。メンバーが下から潜って侵入し、「大石橋」プレートを撮影。ナイスです!
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永済橋の隣にかかる現在使用されている橋を歩いて、その勇姿を横から眺めます。美しい橋です。メインのブリッジになっている部分以外のロングテールがかなり長く残されています。貴重です。
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次に、南側からアタック。ここは、皆がそこそこ普通に侵入して、国保の「永済橋」プレートをゲット。ふと、外側に打ち捨てられている壊れたプレートを二つ並べて見ると、なんと省保プレートと言うことが判明。大切にしてほしいものです。
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そこから細道をくぐり抜けて、涿州の古城壁を見学。見事としか言いようがない規模と距離で残っています。範陽路以北、北関華陽公園の南、城西北街の東側に位置。現存している城壁は清代康熙六年(1667年)に再建したものだそうです。
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2005年の城壁調査で、現存する城壁の長さは1038.5m,幅0.3mから21.4m、高さ0.5mから12.7mということが判明。その中で、現在の華陽公園南側の北城壁は、西から東へ107号国道から小頂街附近に152m残存。西城壁は2か所現存しており、北から南へ華陽公園から華陽路に至る長さ786.5mが残っています。商業機械工場には100mほど残っています。
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ついで、その近くにある涿州双塔を目指します。胡同の中を分け入ると、まずは一つ目の北側に位置する塔「雲居寺塔」が現れます。雲居寺塔、遼の大安八年(1092年)創建。六層密檐式で、高さ56m。
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その異様な圧というか荘厳さは、まさに遼代の様式ならではのもの。残念ながら、四方を住宅で囲まれていて、プレートがあるであろう敷地内には入ることはできませんでしたが、その周囲を歩きながら色々な角度で堪能させていただきました。
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ついで、その雲居寺塔から直線300mの距離にある南の塔「智度寺塔」に向かいます。智度寺塔、遼の太平十一年(1031年)創建。五層密檐式で、高さ44m。こちらの方が補修した後が色濃く、随分と綺麗になっていました。
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どこか小高いところに登れば、二つの塔をもう少し一緒に並べて撮影できるのになあと思いつつ、南塔側から記念撮影。
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予定にはありませんでしたが、ついでに地図上で発見した高家大院に寄ってみることにしました。プレートはないようでしたが、家の前で商売していた金具屋の親父が「ここが高家大院だよ」と教えてくれました。
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現在は、普通に民家になっていましたが、清代らしい邸宅の規格はそのまま残っていました。もちろんボロボロで壁などは修復されてましたが、中軸線と配楼の配置はそのまま。屋根瓦も一部昔の痕跡を残しているようでした。
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(2日目後編に続く)
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第48回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(清西陵・琢州ツアー)1日目後編

2017/12/23 11:46
(1日目前編からの続き)
しこたま飲んでバスの中でうとうとしていると、あっという間に清西陵へ到着。毎年恒例行事の易水での荊軻遊び(笑)。
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「風粛々として易水寒し、荘士一度さりて復た還らず」ついつい語ってしまいます。さすがは司馬遷の名文です!
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そこから神道を少し歩いて、世界遺産プレートと前楼をみてバスに戻ります。
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まずは先に光緒帝の崇陵へ。
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毎年来ていますが、昨年修復してた時に比べて随分と整備が進んでいました。
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全て参観できる通しチケットはオフシーズン価格で80元。先ほどの戦道の45元に比べるとお得な気がします。
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チケットを切られる際に、「地下宮殿は停電だから気をつけて」とスタッフから言われ、真っ暗で何も見えないのではと言う心配がよぎりましたが、ろうそくが数多く立てられていて、むしろ幻想的な雰囲気で良かったです。
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ただ、石扉のレリーフなどはやはり見えにくかったですが。
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冬場の午後の参観は時間との戦いです。もちろん17時まではオープンしているのですが、16時半には日が暮れてきて文物を見るのが厳しくなります。急ぎバスに乗り込んで、雍正帝の泰陵に向かいます。
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勝手知ったるとはこのこと。バス停から降りるや最短距離で泰陵へ。今日も清々しい青空で良い天気です。随分と着込んできましたが、コートは脱いでも全然大丈夫でした。と言うことで、泰陵が例年のように荘厳な姿で我々の眼前に現れてきます。何度見ても飽きない光景です。
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石碑を見て、前殿をくぐり、寝陵部分をただひたすらまっすぐ歩きます。
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寝陵の上は、円を描いて歩けるようになっていて、そこを一周しながら物思いに耽るのが例年の慣習になってきました。思うことはいろいろですが、歴史ミステリーについて研究課題が次々に頭をよぎります。
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雍正帝からも「また来たの?あんたも好きね」と言われているような気がします(笑)。

泰陵から昌西陵に向かうバスの車窓から、嘉慶帝の昌陵を横目で見つつ(未開放)、そのお妃の陵墓へ。この昌西陵に寝るお妃が歴史上有名とかではなく、ここにある回音壁で遊ぶことが目的です。
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時間はすでに16時20分。急いで回音壁に集合して、まずは私の方から「北京あんてぃーく倶楽部」と第一声。
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澄み渡る空気に波動が響き渡り、それが自分の声なのか、はたまた、天から降りて来る福音のようにも思える。そんな楽しい音響効果がここにはあるのです。
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各人、今回初めて来た人も毎年やって来てる人も、初めてやっても何回やっても感動が胸にしみます。ちょうど日も暮れかかって、その美しい夕焼けが地平線に沈んで行く様が、さらに素敵な1日のフィナーレを演出してくれました。
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18000歩くらい歩いていたようで、涿州に移動するバスの中では皆さん疲れ切って熟睡してました。遊び疲れた子供の様な人たちです(笑)。

今回のホテルは、涿州市内の水岸花城商務酒店。昨年、易県のど田舎に宿をとったため、お湯が出ないとか部屋が寒いとか色々問題がありましたので、今回は下調べバッチリで選びました。良いホテルでしたね。うちの部屋でゴキを5匹ほど退治しましたが。。。
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夜は、素晴らしい日本酒、白酒を持参して、お隣の火鍋屋で大宴会。席の関係上2つに分かれてしまったのが残念でしたが、大いに食って飲みました。
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ホテルに戻ってからは、毎年恒例の部屋飲み大宴会。正気を失ったメンバーがベットで泳いだりしています。まあいっか、年末だしね。
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散々騒いで飲んで笑って12時前にはお開きになりました。

(2日目前編に続く)
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第48回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(清西陵・琢州ツアー)1日目前編

2017/12/23 10:37
12月度の北京あんてぃーく倶楽部活動報告になります。


長編になりますので、1日目と2日目をそれぞれ前後編に分けて、全4部で報告します。
また、「琢州」の「琢」は、本来「氵」が正しいのですが、文字ばけするため便宜上当て字しています。

12月は毎年恒例の清西陵へのお墓参り1泊2日ツアーです。清西陵を軸に、その周辺を散策するのを目的としていますが、今年は房山区の張坊と河北省&琢州を巡ることにしました。

■日程表

@12月9日(土)

0730 ケンピンスキーホテルロビー集合

0900 張坊鎮宋遼戦道

1000 極楽禅寺

1100 張坊村五級密檐霊塔

1200 昼食

1330 清西陵(泰陵、崇陵、昌西陵<回音壁>)

1800 ホテル着(涿州・水岸花城商務酒店)



A12月10日(日)

0845 永済橋

0930 古城壁、双塔、高家大院

1130 清行宮、薬王廟

1200 昼食

1330 琢州博物館、琢州清真寺

1530 永安寺塔

1830 北京市内着→反省会

9日朝、ケンピンスキーホテルのロビー。大体のメンバーが早く集合するため、私も早めに到着。今年の北京あんてぃーく倶楽部の締めくくりを飾るツアーは、参加者16名。バスは32人乗りの大型バスを準備。機動力は弱いですが、車内時間も長くなるツアーだけにゆったりを優先しました。
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毎年恒例で美しいケンピンスキーのクリスマス装飾に見送られて、ほぼ予定通り出発。バスの中は前日リクエストを募っていた80年代アイドルソングと各年代を代表するアイドルソングをBGMに、朝からノリノリ。あっという間に、最初の目的地である張坊に到着。
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張坊鎮宋遼戦道。周口店から清西陵への途中、北京市内から西南約80km、河北省境の房山区張坊鎮張坊村に位置しています。およそ1000年前、北宋時代に遼の侵入を防ぐために造られた地下道であり、戦時中に地下に兵士を埋伏させ敵を急襲した場所です。
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1991年に発見されたこの地下戦道は、全長1500m。現在500m程が修復され一般に公開されています。北京地区で発見された唯一の軍事用道路であり、地下4m、幅2m、耐火制のレンガを積み上げ築かれており、両側にチベット兵の駐兵室、兵器室、指令室などがあります。明の洪武期にも、元朝の反抗に備えるために使用されていました。
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それにしても寒い!流石に田舎に来ると気温がぐっと下がる気がします。おまけにチケット代が45元。強気です。本当にそれだけの価値があるのか疑問を抱きながらも、いざ地下道へ。
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中国ではおなじみの三色にライトアップされた一直線の道をひたすら進みます。両側の壁には、飽きを来させないように各部屋に模型、壁にはパネルがこれでもかとかかっています。でも、結論を言うと飽きます。
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ただ、今回初めてわかったのは、ここはこの戦道の張坊段にすぎず、さらに周辺のニつの村からも同じような地下戦道が発見されていると言うことです。しかも、1000年も前に作られていたものが、歴代使用されて、日中戦争の際にも使われていたのに、91年になってようやく日の目を見たと言うのは面白い話でした。
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サクッと早歩きで地下道を踏破し、地上に出て極楽禅寺を目指します。
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道端の表示には500m先とありますが、寒空の中結構な距離を歩きます。張坊村西南の坊易路南側。道路を渡って南の方に回り込むと正門がありました。
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極楽禅寺、唐代の創建。明代に隆盛を極めたようです。嘉靖八年(1529年)、乾隆五十年(1785年)にも重修され、光緒年間(1883年)に、京都内務府営造司正黄旗首領・化天徳と信者たちによって修復工事がされました。
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その年、僧の数は数百に上り、線香の煙が絶えなかったそう。その素晴らしい廟は抗日戦争の際に破壊されました。2011年、政府の要請により意音光師父が極楽禅林住職に任ぜられ、修復と再建を行いました。近年、大雄宝殿と後罩楼を再建したようです。新築感が漂っています。
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確かに、建築様式は明代のもので、一番奥に今は使われてないようですが蔵経閣(后楼)まで備えています。本当はこのあたりにもう一つ革命烈士郭士紅の記念碑があるはずなんですが、見当たらず断念。

プラプラと歩いて、張坊小学校にあるという五級密檐式の塔へ。10分くらい歩いたところで、細道の中に塔を発見。
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遼代創建。別名を、張坊小学塔、懺悔正慧大師霊塔。石製の八角経鐘塔。正慧大師、姓は斉、河北省永清県の人。幼年時に出家し、北京の天王寺(天寧寺)の三蔵を師とし、また永泰寺の司徒疏主大師に従事しました。生涯清貧を貫き、人々の尊敬を集めましたが、遼の天慶六年(1116年)に逝去。その功徳を想い建てられたのがこの塔です。
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ものの解説では、正面には「奉為先師大師特建佛頂尊勝密言霊塔」の文字が刻まれており、また、各面に塔銘と『佛頂尊勝陀羅尼経』が刻まれています。それを見るために、正面に回り込もうとしますが、どうやら学校の中からしか入れないようでした。
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時間もちょうどお昼どき、清西陵の周辺にはろくなレストランがないことも毎年のことで承知していたため、張坊にて昼食をとりました。最初の宴会で、16名で円卓を囲めたのでいきなり盛り上がりました。
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(1日目後編につづく)
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