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北京あんてぃーく倶楽部
ブログ紹介
おいしい食事とワインを楽しみながら、歴史ロマンを語れる文化サロン。月1回、博物館や骨董店めぐり、北京近郊日帰りツアーなど企画しています。

【倶楽部設立の経緯】
2013年6月、骨董収集歴20年の骨董オタクと中国古代歴史(宋朝以前が得意)オタクの2人がワインでいい気分になり、北京の歴史や文化とりわけ骨董(古美術)をもっと堪能するために、酔った勢いで設立

【倶楽部の活動方針】
活動回数は基本的に毎月1回
活動基本方針は下記の通り
A)北京のアンティークショップめぐり
B)北京郊外を含め、観光ガイドブックにはあまり記載されていないが、1人で見学するにはちょっと面倒くさいディープな史跡めぐり
C)博物館めぐり および有名な史跡を利用したレストランでの昼食
この3カ所を交互に見学する

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第43回北京あんてぃーく倶楽部活動予告(房山巡り)

2017/05/06 06:43
5月度の北京あんてぃーく倶楽部活動予告になります。

5月は季節的にも大変良い季節ですので、少し自然に触れられるような場所へ行きたいと思います。
歴史と自然を感じる1日にしましょう。


■日程
5月21日(日)

■スケジュール
0730 建外SOHO A座ロビー集合
0830 姚广孝墓塔
0900 常楽寺
1000 環秀禅寺
1130 白水寺風景区(石仏、鳳凰亭)
1230 食事(お弁当)
1400 万佛堂、孔水洞石刻及塔
1600 北京市内着→解散


おそらく食べる場所がないため、お弁当持参でお願いします。
自然の中で食べましょう!

若干山登りになると思いますので、そのような服装でお願いします。
虫除けなどもあると良いかと思います。

バスの手配がありますので、参加網込みは、5月15日(月)までと
させていただきます。

※初参加の方は、qianye74@hotmail.com(千葉)までご連絡ください。


よろしくお願いします。
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第42回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(石家庄・曲陽巡り)2日目D

2017/05/05 17:31
■2日目D
いよいよ石家庄ツアー最後の目的地、河北博物院に到着。なんとか2時間ほど見学時間を確保できました。ここまで素晴らしいスケジューリングです(笑)。
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河北博物院は、私個人では今回3度目の訪問です。そのうち最初の1回は、まだ新しい博物館ができてないときでした。今は、その旧博物館部分が文物保護指定を受けています。
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その旧博物館側から入場して、新館の方に進んでいきます。お土産コーナー、食堂をすぎて第一展示室から見ていきます。

第一展示室は、北斉の壁画展示。
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続いて、河北の官窯展示室。邢窯、定窯、磁州窯、井陘窯の河北四大窯がわかりやすく展示されています。この辺がこの地方博物館の良さですね。良い意味でしつこい展示。
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<邢窑>
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<定窑>
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<磁州窑>
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<井陘窑>

次に、戦国中山国の展示。あの名将楽毅を輩出した国ですが、戦国時代のほんの一時期存在した国(前414〜前296年)のため、あまり知名度がなく幻の王国とも呼ばれています。狄の国とも言われており、騎馬戦に強く、中原諸国とは一線を画していましたが、同じく兵制改革で騎馬隊を組織した趙の武霊王に滅ぼされてしまいます。
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そして、漢代に存在した中山国展。別名、満城漢墓展。漢代は、秦の早急な中央集権制の失敗に鑑み、皇室の縁者を地方に封じる郡国制を敷きます。その封国された国の一つが中山国です。初代の国王であった、中山靖王劉勝は、後の劉備がその子孫を名乗ったことで有名ですが、子供だけで100人を超えていたという淫乱な王として知られています。
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1968年、その墓が満城の山中から偶然発見され、さらに金縷玉衣をまとった劉勝とその夫人の遺体が見つかりました。また、おびただしい数の陪葬品も発見され、中でも長信宮灯のようなランプ工芸品は世に有名です。
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他にも河北の石器時代から、西周燕国、趙国の文物など、これでもかと河北ならではの歴史展示が展開されます。いいですね〜。
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この時点で、ほぼ2時間経っていたのですが、最後にどうしても曲陽石刻展を見たく、ざざっと見て回ります。するとまさにこの展示室の中に驚きの文物が展示されているではないですか。
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まず、今回見た修徳寺塔から出土した仏像が展示されます。漢白玉で作られた仏像はシンプルですが魅力的です。
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やはり石刻芸術ですから、仏教美術が多いのですが、なんと今回渋滞にはまっていけなかった王処直墓から出土された壁画や墓誌銘がここに展示されてあるではないですか。逆転サヨナラの気分です。
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いやー、素晴らしい博物館でした。今回は本当に堪能しました。見学順序もわかりやすく設計されており、展示物もこの石家庄だからこその文物を十二分に陳列されていました。
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また来たい!

それでも少し余裕を持って石家庄駅に到着。お約束で待合イスのところでビールで乾杯。
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帰りも1時間半で北京西駅に無事到着。何事もなく皆生還できました。
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今回の一泊二日の石家庄・曲陽ツアーは、北京あんてぃーく倶楽部の活動としては初めての春のお泊まりツアーでしたが、季節も大変素晴らしく、見るもの全てにワクワクさせられました。参加した13名のチームワークも抜群で、色々ありましたが思い出に残る楽しいツアーでした。
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おわり。
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第42回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(石家庄・曲陽巡り)2日目C

2017/05/02 11:49
■2日目C
正定という街は、一日ぷらぷらしても街のいたるところに見所があって飽きることがないように思います。正定の最後に行く予定にしていた正定文廟の近くに、唐代の碑が残っているというので先にそちらを見学に。
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ところがちょうどその石碑自体を清掃中で、ものすごい土埃が立っています。「大唐河郡王紀功載政之頌碑」。普段は柵があって入ることができない扉が空いてたので、土煙を浴びながらも中に入っていきます。見事な石碑であることはわかりますが、如何せん次から次に降ってくる土埃でギブアップ。
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こういうお仕事する方も大変です。身体中砂だらけ。
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時間も時間なので、先に昼食をとることに。正定のソウルフードは、どうやら焼売と哈咯面ということで、その二つが食べられるお店をチョイス。
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焼売は、ワンタンに近いような焼売で、蒸しではなく茹でてます。なんとなく適当な感じですが、味はとても美味しい。どんどん箸が進みます。
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哈咯面(ハーローミエン)は、蕎麦ネタのようなものを専用の機械で寒天のように面状に絞り出して直接熱湯に落とし込んで茹で上げます。それを羊肉や白ネギ、フェンネル、棗などなどの香料で出汁をとった高湯(スープ)に入れたものになります。なるほど今まで味わったことのない風味豊かなスープです。こちらも抜群にうまい!
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お腹もこなれたところで、正定文廟を目指します。ちょうど趙雲広場のすぐ裏手にあり、趙雲広場の巨大な趙雲像を横目にたどり着きました。
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中に入ると、観光客は誰もいません。随分とだだっ広く整備された文廟は、その光景は素晴らしいのですが、なんとなくありがたみに欠ける場所でもあります。隆興寺を見た後なのでなおさら近代建築感が漂っています。
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しかし、元々は明代には文廟として整っていたようで、しかも、大成殿の建築様式は、五代の建築様式を残していると書いてあります。ちょっと信じられませんが、せっかくきたので孔子に参拝。
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それにしても気持ち良い青空です。いよいよこのツアーの最終目的地、河北博物院へ向かうため石家庄市内に戻ります。

2日目Dにつづく
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第42回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(石家庄・曲陽巡り)2日目B

2017/05/01 13:13
■2日目B
天寧寺から、いよいよ趙雲廟へ。

趙雲(?〜229年)、字は子竜、常山真定の人。言わずと知れた三国蜀の名将。その物語を語り出すと切りがないので語りませんが、趙雲の出身地である常山真定とは、まさにこの正定になります。蜀の武将ですから、お墓は今の四川省(大邑県)にあります。この正定の趙雲廟は、元々存在した廟を改修して、1996年に観光資源として新しく作られたものになります。
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ということがわかっていても、三国志ファンには大変嬉しい場所です。かくいう私も趙雲大好き!目の前に趙雲が白馬に乗った銅像が現れただけでミーハー心に火がつきます。
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早速中に入ると、正面に劉備を中心に関羽、張飛、諸葛亮、趙雲と並ぶ君臣殿があります。意味不明な感動がこみ上げてきます(笑)。中はちょっとした展示館になっていて、大邑の趙雲墓から持ってきた土などが展示されています。
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その後ろに回り込むと、順平侯殿があります。順平侯は、趙雲の死後に追賜された官職名です。中央に祀られた趙雲を若干厳かな感じでお参り。
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一応中央ラインは神道の役割を果たしているのですが、本来なら石像が置かれる場所を植木を石像や龍の形に刈り込んで配列しているのが印象的でした。よく考えましたね。
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次に、正定を代表する、いや中国を代表すると言っても過言ではない古刹・隆興寺に向かいます。前回きた時は、修繕中で見れない箇所もあったのですが、今回はほぼそれも終わっているということで、大変楽しみにやってきました。
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隆興寺。五胡十六国時代の後燕・慕容熙の龍騰苑だった場所を、隋の開皇六年(586年)に庭園内に寺院を建立し、龍蔵寺と名付けたのが始まり。唐代に、龍興寺と改められ、清代に隆興寺に改称されました。
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正面入り口に当たるのは、天王門。その対面に立派な双龍照壁(影壁)も残っています。天王門からして歴史の重みを感じますが、「勅建隆興寺」の扁額は康熙帝の御筆になるもの。
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天王門をくぐると、目の前に大覚六師殿遺址があります。もともと北宋の神宗元豊年間(1078〜1085年)に建てられた大覚六師殿があったようですが、民国時代に壊れたようです。
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そのすぐ奥が摩尼殿。これも北宋時代、皇祐四年(1052年)の創建。他の北宋期の建築物の中でも珍しい十字形に作られた大殿で、明清時期も手を加えられていますが、建築物全体の風格は北宋時のままを今に伝えています。
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内部壁面の壁画も保存状態は素晴らしいです。
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摩尼殿をくぐって北側から外に出て牌坊をくぐると、戒台を正面にその奥に慈氏閣、左手に転輪蔵閣、敷地のあちこちに石碑が林立している空間が現れます。その光景だけでも十分圧倒される威圧感を感じます。
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慈氏閣は、左右に康熙帝、乾隆帝御筆になる石碑を従えた北宋代の建築物。明代に重建したためか、解説の年代はどの建物もほとんど明代になっています。その瑠璃瓦の青空に映える光景はいつまで見てても飽きが来ません。
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転輪蔵閣は、八角形木製のお経蔵書棚です。からくり式で常に本棚が動くようになっていたのは、仏教世界の輪廻転生を表したと言われています。恐るべき宋代の科学力の高さです。今もおそらく動くとは思います。沈括の『夢渓筆談』をもう一度読んでみようと思いました。
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もう一つ、見ておきたいのは「龍蔵寺碑」です。隋の開皇六年(586年)に建てられた石碑で、「恒州刺史鄂国公為国勧造龍蔵寺碑」の文字がはっきり見えます。
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慈氏閣の裏手に回ると、大悲閣が現れます。この大悲閣が隆興寺メインの大殿です。なぜなら、この大殿の中に、高さ21mを超える銅製の千手観音像が祀られているからです。河北四宝に数えられるこの千手観音は、唐代に造られたと言われています。四十二の腕を持ち、それぞれに宝鏡や宝剣などの法器を持っています。雍和宫の仏像を想起して貰えばわかりやすい圧倒的なスケールです。
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この千手観音は、唐末の騒乱で一旦崩れ去ったようで、現存するものは北宋の初代皇帝趙匡胤によって再建されたものです。現在に至るまで、何度も修繕が行われており、人々の信仰心の篤さに感心せざるを得ません。千手観音が乗っている須弥座の彫刻も見事。
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慈氏閣の裏手には、須弥殿があり、貴重な仏像がこれでもかと配置されています。
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さらにその奥には毘盧殿があり、三層に仏が重なり合った珍しい仏像が安置されています。
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最後に、夢堂和尚経幢と唐碑を見に行きます。さらにその裏手にも、もともとの名称であった龍騰苑の名前を冠した裏庭が広がります。そこは今回はあえて見ませんでした。すでにお腹いっぱい。
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午前中だけで、随分と正定古城を満喫しました。

2日目Cにつづく
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第42回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(石家庄・曲陽巡り)2日目A

2017/04/29 10:58
■2日目A
臨済寺を後にして、一旦バスに乗り込みます。どこもかしこも工事だらけで、次の場所は普通に行けば歩いてでも行ける距離なのですが、そのあとのことも考えてそうしました。バスで10分、開元寺須弥塔に到着。
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開元寺須弥塔。東魏興和二年(540年)創建。隋代に解慧寺に改名。唐玄宗の開元年間に天下の州郡にそれぞれ一大仏教寺を建立するべしとの詔を受けて、開元二十六年(738年)開元寺に改名。現在は寺は残っていません。あるのは、須弥塔、鐘楼、そして巨大な亀の石像(贔屓という説もある)です。
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須弥塔。唐の貞観十年(636年)創建。密檐式の方塔。西安の小雁塔に似て、塔身はいたってシンプルですが、基壇の部分には四隅に力士像が配され、塔の中には仏像が設置されています。
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須弥塔と向かい合うようにある鐘楼は、唐代の建築様式を今に残す建物です。屋根部分の木組みの方法や内部の梁の構造など貴重な研究材料となっています。二階建ての楼格式になっていて二階部分に大きな鐘がかかっているはずなのですが、よく見えませんでした。
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巨大な亀の石像は、その背中にさらに巨大な石碑を乗せていたようで、現在は石碑の残欠部分、その頭部、そしてこの巨大な亀の三部分に分けて屋外展示されています。鼻の穴だけで、人の頭がすっぽり入りそうな勢いです。これだけは、2000年に府前街から工事中に発見され、開元寺に保管されたようです。
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続いて、天寧寺凌霄塔。天寧寺は、唐の威通年間(860〜874年)の創建。当時は相当な規模の寺院だったようですが、現在は、牌坊、山門、そして凌霄塔が残るのみです。ただ、現在の敷地面積の大きさから、かつての雄大さを知ることができます。
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凌霄塔は、天寧寺の創建に先立って建立されていたようです。九層八角密檐式の磚塔ですが、その屋根の木組みの見事さから木塔と呼ばれています。その部分は金代の重建。時代ごとに修築されてきましたが、1966年の地震で上部が倒壊した模様。現在のものは最近になって以前の様子を再現したもの。
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最大の特徴は、その塔の中を貫いている柱にあるようですが、そこは見ることはできません。1982年、文物局の調査によって基壇の下から地宮が発見され、仏歯、仏舎利の他、石舎利函が見つかったことにより、そこに掘られていた銘から、宋代には彗光塔と呼ばれていたことが判明しました。
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雄大で太めの塔身は、西安の大雁塔や山西応県の木塔を彷彿とさせます。
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2日目Bにつづく
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第42回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(石家庄・曲陽巡り)2日目@

2017/04/28 14:08
■2日目@

4月23日スケジュール
0800 ホテル発→正定古城
0845 正定古城 
      広恵寺(華塔)、臨済寺(澄霊塔)、開元寺(須弥塔)、
      天寧寺(凌霄塔)、隆興寺、文廟、趙雲廟、南城門
1500 河北省博物館
1726 石家庄駅発(G401:17:26-18:50)
1900 北京西駅着→解散

ホテルは、石家庄の中心地区にある石家庄華庭商務酒店。値段の割(380元)に清潔で良いホテルでした。昨晩散々飲みましたが、ホテル宿泊の際の朝食はやはり興味あり。
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夕食を食べた湖南料理の店が昼食会場になっていって、かなり豊富なビュッフェでした。コーヒーもあってうれしい。
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朝8時前にはチェックアウト。目指すは正定古城。この南北朝時代からの城壁を残す古城は、城壁で囲まれた街の中に多くの歴史的建築物をとどめていて、過去にタイムスリップしたような雰囲気の場所です。
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バスで20分も走ると、新たに修築中の城壁南門が見えてきます。現在工事中につき、南門をくぐって街中に入ることはできません。
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大回りして、南門の内側に到着。城壁の上にもあがれない(涙)。この城壁は、西側を見ると土盛りの部分があらわになっていて、外壁のレンガを積み上げて固定されたところは明代の修築になるもの。
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その南門から北に向かって伸びている道が歴史文化街。その左右に有名な寺院と塔が配置されています。
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まずは、広恵寺華塔。唐代創建ですが、現在残存しているものは金代に修築したもの。清代には乾隆帝が2度この塔に登ったという記録があります。
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すでに寺院はなく、塔のみが残っています。その形は他に類を見ないもので、古い書籍を見ると、密檐式の塔が内部にあり、その塔身の下部を囲んで八角形の袴を履いたような形になっています。現地の人の話では、その西側の扉部分だけが昔の名残を残しているようです。
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余談ですが、85元(オフシーズン65元)で通しのチケットを購入でき、隆興寺と3つの寺院はそれで回ることができます。大変お得です。そして、なぜか入場前に撮ったプレートと帰る時に撮ったプレートの写真、枠の色が違ーう(笑)。中国あるあるな貴重なタイミングでした。
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ついで、臨済寺澄霊塔。この塔自体、創建はなんと東魏の興和三年(540年)らしい。もともと違う場所にあったところ、唐代に名僧義玄が出て臨済宗を開いた際に、今の場所に移築した模様。義玄の衣鉢を納めたのがこの澄霊塔で、金代に大規模な修築があり、その後も歴代庇護されてきました。
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スッと伸びた美しい密檐式の塔で、特にその塔身の彫刻美に目を奪われます。ここは寺院も残っていて、入場料もありません。今でも地元の人を中心に信仰を集めているようで、塔の周囲をお経を唱えながら歩く人も見られました。
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日本の臨済宗の祖栄西は、12世紀にこの寺院を訪れて臨済宗を日本に伝えました。中国との国交回復以降、日本の臨済宗との仏教交流が盛んに行われているようで、日本人がよく来る寺という認識が地元の人にもあるようです。
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2日目Aにつづく
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第42回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(石家庄・曲陽巡り)1日目A

2017/04/27 11:43
■1日目A
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修徳寺塔を見学した後、午前中で定窯遺址を回る予定でしたが、スケジュールが押しに押しまくったので先に昼食。サクッと食べたかったので、私の大好き張亮麻辣烫。こんな曲陽の田舎にまで進出してたのね。

具材の品揃えや店舗の垢抜け感、サービスは北京に比べるまでもないのですが、おじさん一人で不器用ながらザクザクさばいていきます。我々も崂山ビールをガンガンやります。いつものPAC乗りです。それにしても、中国にいながらまだ麻辣烫を食べたことがない人がいたなんて、そっちの方が驚きです(笑)。
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急いでバスに乗り込み、爆睡してたら定窯遺址に到着。途中とんでもない長さの大型トラックの渋滞を見て帰りの道に一抹の不安を覚えます。ここかと思って最初に入ったレンガ色の建物は文物局で、そこからさらに空き地の方に下って行った場所に定窯博物館がありました。
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その周辺の空き地は、なんと商品にならなかった定窯の焼き物の破片を捨てる場所だったようで、どこの空き地を見ても大量の破片が無造作に落ちています。いうならばゴミ集積場。
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その博物館は、定窯の元々の制作場所の跡にそのまま蓋をかぶせたような場所です。なぜか13人で150元の入場料(団体割引か?)を払い、中に入って見ます。博物館のほぼ全ての面積をその窯跡遺址が占めていて、その周りをぐるっと一周できるようになっています。
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中には、破片がぎっしり詰まっている場所もあり、あれはひょっとすると年代物なのではと目が光ります。他にも小さな展示室があり、歴史の紹介や実物に実際に触れられるようになっています。参観所有時間は10分でOKな博物館です。
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それにしてもこういう官窯の全体像を見ることができる場所が残っているのは貴重です。
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時間の都合と文物局でのヒヤリングで開いてないことがわかったので王処直墓はスルー。田庄古墓を目指します。ところが!やはり行きがけに見た大型トラックの行列はまだ続いていて、そこから渋滞にはまってどうにもならない状態が続きます。300m先に検問があるようですが、そこから一歩も動かず2時間経過。

ようやく動き出しましたが、すでに4時を回ってしまって観光地に行っても意味なし。ということで、直接石家庄を目指します。高速に乗ってドライブインでようやく一休みし、バスに乗ってふと目がさめると石家庄の目の前でまたもや渋滞。ようやくホテルにたどり着いたのは19時。くたくたです。
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もうゆったりしたかったのと、クーポン券をもらったので、ホテルの5階にあった湖南料理の店にて夕食。意外にもと言っては失礼ですが、安くて美味くてしこたま食べて飲んで盛り上がりました。
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夕食後は、PAC一泊旅行恒例のホテル部屋飲み会。お約束80年代アイドル話(分科会あり)からなぜか自分の携帯に入っている楽曲自慢大会に発展。未劣化アサヒスーパードライをしこたま飲みまくって夜は更けていくのでした〜。
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第42回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(石家庄・曲陽巡り) 1日目@

2017/04/26 18:37
4月度の北京あんてぃーく倶楽部の活動報告になります。

今月は、PAC始まって以来の4月の一泊二日ツアーを敢行しました。目的地は、曲陽と正定古城。正定古城は、2014年4月以来ということで、3年ぶりの訪問になりました。今回巡ったところは、一箇所一箇所がかなり素晴らしく、写真もたくさん撮りましたので、少し小分けにしてブログをお届けしたいと思います。



■1日目@
4月22日(土)スケジュール

0721 北京西駅発(G601:7:21-8:24)
0830 定州東駅着→曲陽へバス移動
1000 北岳廟
1045 修徳寺塔
1130 定窯遺址
1230 昼食
1400 王処直墓
1600 田庄古墓
1830 石家庄着→ホテルへ
1930 食事



晴天に恵まれた22日。朝6時前から微信コミュニティでの連絡が鳴り止みません。一応信用していますが、集合場所が西駅と遠いため頻繁に連絡を取りながら無事に全員集合。これで仕事の半分終わったようなものです(笑)。
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7時21分の新幹線に乗り込みます。最初の目的地定州東駅までは1時間で到着。本当に便利です。駅にはすでにお迎えのチャーターバスが待っていました。順調です。ここから曲陽県に向かいます。曲陽県は石の町、正確にいえば石刻の町。歴史的にも長らくその任を担っていた町であります。バスで通る道すがらも露天の石刻芸術広場のようなものが広大なスペースで見られました。
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バスに揺られること1時間半。曲陽の繁華街を通り抜けたその場所に北岳廟はありました。目の前にパッと開けたその場所は、美しい緑に恵まれ、そこになんとも言えない歴史的な雰囲気が漂っています。
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北岳廟。創建は北魏にまで遡れる古刹。北岳恒山を祀る場所として歴代王朝を通じて庇護されきました。
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現在、廟の外も整備された公園になっていて、市民の憩いの場になっています。廟の入場料は40元と高めですが、最初の朝嶽門を見ただけでもそれ以上の価値を感じます。ワクワクしながらいざ入場。
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目の前に鎮座するのが御香亭。別名更衣亭と言われるのは、ここが歴代皇帝が参拝の際に衣服を着替え、香を焚いて沐浴した場所だったから。明代建築ですが、文革の際にかなり被害にあって重建された模様。木組みの様子など明代の様式を伝えます。左手に博物館がありますが、それは後回しにしてまずは中央ラインを攻めます。
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歴代北岳廟の様子を彫った石碑図が埋め込まれた凌霄門から、三山門に至ります。共に明代建築。門の周辺には宋、元、明代石碑が林立しており、特に元碑「大元朝列大夫騎都尉弘農伯楊公神道碑銘」は、元代最高の書法家趙孟頫の手になるもの。
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芝生の緑が一面に広がる気持ちの良い空間に、飛石殿遺址があり、その奥に元代建築の様式を残す徳寧之殿が現れてきました。すごい景観です。
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飛石殿は、曲陽の伝説によると舜の時代(紀元前2000年くらい?)と唐の時代に隕石の落石があったようで、ここに大殿を建てたようですが、清末に消失し、現在はその基壇のみが残されています。
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そして、徳寧之殿。その外観からして荘厳かつ優雅な元代の創建になる建築物。内側の左右両壁には美しい壁画が描かれていて、元代画家が唐の呉道子の風格を模して描かれたと言われています。
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法海寺で明代ですから「本物は辺鄙な場所に残る」と言った孔子の言葉が身にしみます。
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次いで、北岳廟の両サイドに林立する石碑を細かくチェック。三国魏から清代までとんでもない数の石碑です。「大元封加北岳手詔」碑には、なんとパスパ文字が見えます。
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洪武碑楼の中には、明の洪武帝時代に諸々の呼称を改める旨を記した立派な石碑があり、その隣には「魏故侍中散騎常侍定州刺史司空邸氏之碑」があり、欠字はかなりあるものの漢魏の風骨と謳われる力強い字がはっきり見られます。
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予想以上に素晴らしい場所すぎて、予定していた時間を大幅に過ぎてしまいましたが、最後の博物館もじっくり見学。こちらは動物や仏像の石刻が陳列されいます。唐代石刻である灯篭は身柱部分に龍が巻きついている見事なものです。
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北岳廟だけで、間違いなく午前中いっぱい時間を使えましたね。

後ろ髪を引かれる思いで、北岳廟の対面の路地裏に立つ修徳寺塔に向かいます。
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修徳寺塔。宋代創建。八角七層の密檐式塔。1953年になって、この塔の基壇下部分から北魏から唐に及ぶ漢白玉でできた44体の仏像が出土しました。こちらは一部河北博物院で展示されています。
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周辺は普通に畑で、見学していると犬に吠えられ、畑仕事のおばちゃんにジロジロ見られます。それにしても二層目がやたら長く、そこに仏衾が110個刻まれています。あまり見たことがないタイプですが、上部のシンプルさと下部の彫刻美が遼代の建築に繋がる流れのようにも見えて面白いです。
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一日目Aに続く。
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2017/04/02 08:33
北京在住日本人によるリアル北京情報配信プロジェクト『ウェルカム北京』が始動しました。FACEBOOKで毎日新鮮な北京情報を配信しています。ぜひ、ページをフォローしていただき、情報の拡散・転送をお願いします。
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『ウェルカム北京』オフィシャルFB
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第41回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(密雲区北部を巡る)

2017/03/23 17:36
3月度の北京あんてぃーく倶楽部活動報告になります。

■日時
3月19日(日)

■スケジュール
0730 ケンピンスキーホテル・ロビー集合
1000 番字石刻
1030 白馬関城堡
1130 超勝庵
1230 食事
1330 白乙化烈士記念館
1600 ケンピンスキーホテル着・解散

今回は、密雲区の西北エリアを巡りました。なかなか行くことのない場所だけに、見所をギチギチに詰めて回る予定でしたが、如何せん最初の目的地までに2時間以上かかってしまうため、その沿線上をなぞるようなシャープな企画に変更しました。

今回の参加者は16名。バスに乗ってほぼ2時間ぐっすり寝てました。1時間経ったとき、目が覚めたら密雲区内の護城古堤遺址が目の前にあってちょっとびっくり。トイレ休憩に寄ったガソリンスタンドがたまたまそこだったようです。
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そこからさらに1時間山道を進みます。もうそろそろ北京区域を出ようかと言うところで、ようやく最初の目的地である番字石刻に到着。バスで横付けできる場所にありました。「番字石刻」の扁額がかかった立派な門の中に、積み上げられたような石の塊が並んでいます。石の上には、屋根が設置されていて文物保護されています。
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見れば、確かにその石の塊に奇妙な文字が彫られています。研究結果からいえば、この文字を掘ったのは、元の時代にこの地に駐屯した少数民族の部隊ではないかと。梵字、満字、蒙字などでラマ教のお経が記されているようです。
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一様にみて回りましたが、その隣に閉鎖されているお寺があるだけで他には何もない場所だったので、次の場所に向かいます。
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次は、番字石刻に至る道すがらに確認しておいた白馬村にある白馬関長城と城堡です。道路を整備する際に分断された長城が山沿いに雄大に連なっています。
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ついで、その長城で働いていた人々が暮らしていた白馬関城堡をみて回ります。南門がしっかりと残っていて、その右側に白馬のオブジェが置かれています。
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街の中や住宅も少なからずリフォームしてますが、それでも人が住んでいるとは思えないほど荒れ果てています。
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南門をくぐった正面に白馬村の説明が書かれた広場があり、参加メンバー全員で馬ポーズにて記念撮影。猫ポーズでも幽霊ポーズでもありません(笑)。
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白馬村を後にして、またまた山道を40分ほど車で走ります。山の傾斜もどんどん厳しくなってきたところで、立派な駐車場に到着。どうやらこれ以上は車で行くことは無理そうなため歩いて700mほど登ることに。ところがこの坂道の傾斜が半端ない。70度くらいの急勾配をひたすら登り続けます。足も悲鳴をあげてもうダメかもと思ったところでようやく頂上に到着。ここが雲峰山の頂上だと到着して初めて知りました。
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そんな苦労をして何を見にきたかと言うと、超勝庵です。唐代創建という古刹ですが、歴代王朝を通じて重建されて来た寺を、1930年代に日本軍が破壊したとのこと。現在の寺院は1990年代に重建されたようです。見た感じ確かに古い寺ではありません。
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その超勝庵の奥の方に風鈴が良い音色を奏でている休憩場所があり、そこで持参した弁当を広げてランチタイム。疲れてヘトヘトになった体にビールとおにぎりでエネルギーチャージ。今月末に帰国するメンバーやタイミングよくモンゴルから来ていたオールドメンバーたちとも話に花を咲かせました。
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せっかく登って来たのでもうひと頑張りして成仏塔を見学。本当に雲峰山の頂上であることを実感する素晴らしい景色が眼下に広がっていました。PMがもう少し晴れてたら尚きれいだったことでしょう。
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帰りの坂下りも大変でした。膝が笑うとはまさにこのこと。

すっかり疲れ切ってバスに乗り込み30分ほどうとうとしていたら、最後の場所である白乙化抗日記念博物館に到着。抗日関係のところは、PAC的には特に興味はないのですが、何と言ってもここも市保なんですよねー。
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白乙化(1912-1941年)、遼寧省遼陽県の人。1931年に勃発した9・18事変を機に抗日戦線に参戦。30歳で死ぬまで「虎将」として激烈な人生を送った方のようです。その記念碑の立つ場所は、正面に密雲の貯水池を望む風光明媚な場所でした。
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記念館も見て回りましたが、パネル展で、ささっーと見学して今回の全ての旅程を終了。市内に向けてバスに乗り込み、渋滞を避けつつ17時過ぎに無事ケンピンスキーホテルに到着。その後、8名で反省会。今回も充実した活動でした。
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第41回北京あんてぃーく倶楽部活動予告(密雲区北部を巡る)

2017/03/02 12:44
3月度の北京あんてぃーく倶楽部活動予告になります。

今回は、元代に軍事目的に彫られたと言われている番字石刻をメインに密雲区の西北エリアを巡ります。

■日時
3月19日(日)

■スケジュール
0730 ケンピンスキーホテル・ロビー集合
0900 番字石刻
1000 白馬関城堡
1045 上峪城堡
1130 超勝庵
1230 食事
1330 白乙化烈士記念館
1600 ケンピンスキーホテル着・解散


おそらく時期的にも大変良い時になると思いますので、ぜひ「軽食」をご用意ください。
外でピクニック気分で食べましょう。
本当は田舎すぎて食べるところがないのが心配なだけですが(笑)。

遠出になりますので、一応パスポートは携帯してください。

バスの予約がありますので、締め切りは、3月13日(月)になります。
それまでに22名に達しましたら、キャンセル待ちとなりますのでご了承ください。

初めてご参加の方は、qianye74@hotmail.com(千葉)まで、ご連絡ください。
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第40回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(昌平区巡り)

2017/03/01 12:58
2月度の北京あんてぃーく倶楽部活動報告になります。

■日時
2月26日(日)

■スケジュール
0815 ケンピンスキーホテル・ロビー集合
0915 居庸関・雲台
1030 南口城(李公墓、南口清真寺)
1200 和平寺
1300 昼食(陽坊で陽坊涮肉)
1500 西貫市清真寺
1600 陽坊磨崖石窟
1700 市内着(ケンピン解散)

2月の北京は春節も過ぎ穏やかな天気が続いています。PAC当日も絶好の青空とそれほど寒くもない天候に恵まれました。時間通りに集合し、いざ昌平区へ。北京の北側に位置する昌平区はもちろん北京市ですが、そこに行くまではバスで約1時間はかかります。運転手と本日の目的地を確認した上で、まず居庸関・雲台へ。

いつもは八達嶺高速を通って行くのですが、往往にして渋滞がひどいという欠点があります。今回は、その一本西側に伸びる高速道路を通り、最終的に八達嶺高速に連結する道をぶっ飛ばします。初めて通ってみましたが、素晴らしく快適で予定より早く居庸関まで到着しました。
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さすがに朝一の郊外は身にしみる寒さでしたが、雲台の素晴らしい彫刻を見て寒さも吹き飛びました。早速中に入ってみます。雲台と居庸関長城への入場料で35元。
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まずはじっくりと雲台見学。正面上部には、ガルーダを中心として仏教彫刻が刻まれています。アーチの中に入ると、四天王像の彫刻が四方に配され、両サイドの中央部分に6種類の文字が刻まれています。元代に作られたものだけに、漢字、ウイグル、パスパ、チベット、サンスクリット、西夏文字が並んでいます。
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これだけでも大満足だったのですが、居庸関自体に来たことがない方も多く、南関に登ってみます。
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南関内には、関帝廟があり、城壁の上には「紅衣大砲」が備え付けられてあります。
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居庸関長城への登り口の方には居庸関及び雲台の資料館や馬神廟などもあり、随分と時間を費やしてしまいました。見どころ満載ですが、長城には登りません(笑)。

ついで村までは判明しているのですが、具体的な場所がわかっていない南口城を目指します。途中何度もバスの運転手が村人に聞き込みをしてくれ無事に目的地へ到着。
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南口城は、明代に築かれた居庸関と対をなす北京城防御のための砦だった場所です。今はその城壁の一部のみが残存しています。
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そこから南に200mほど歩いた場所に南口清真寺があります。現在は使われておらず、鍵がかかっていました。外から見た感じですが、外観が大変おしゃれです。古き良き時代の仏教建築を感じさせます。
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また、南口城から北に200mほど歩くと、李公墓があります。明代太監だった李監の墓です。小規模ながらも神道まで整備されていて、とても大切にされていたとことがわかります。ただ、肝心の墓の部分がなくなっていましたが。
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八達嶺高速の高架下のような場所にあるので今まで全く気付きませんでした。正しい道を通ってきてもここはなかなか探し出せません。以前は高速道路などもなくわかりやすい場所だったのでしょうね。とっくに盗掘にあっているようです。
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無事に南口村にある文物を制覇して、もうすぐ正午という時間。今回参加者22名という人数につき、食事は少し時間をずらしてと考えていたので、なんとなく腹減ったという視線を感じながら、和平寺を目指します。
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和平寺。唐代の創建と言われている古刹。北京市重点文物保護単位でもあります。歴代修復が重ねられて来たようですが、近年の修復の成果でしょうか、随分と新しいです。境内を見て回ると、大殿の左右の配殿の方に壁画が残されていました。寺自体には新しい釣鐘がかけられていましたが、打ち捨てられるように乾隆年間製の釣鐘が放置されていました。
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花塔村の由来となった花塔を見たかったのですが、関係者にお願いしてみると現在鋭意製作中の全く新しい塔の方に連れて行かれました。
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気を取り直して、陽坊村を目指します。こちらの陽坊勝利涮肉で本場の羊しゃぶしゃぶを食べるというのが今回の大きな目的の一つです。運転手を入れた23名で二つのテーブルを囲みます。いやいや、期待していた以上に羊肉がうまい!おすすめです。

食後、3箇所ほど回る予定でしたが、2ヶ所見つけることができず、最後に行った場所は西貫市清真寺。
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行き道が狭いため、腹ごなしがてら歩いて行きました。こちらの清真寺は中を見ることができました。建物自体は最近改修したのか新しい雰囲気で、奥は随分と広い住居スペースのような空間が広がっていました。
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よくよく考えると、陽坊村で羊肉が美味しいのは昔から回族が多く住んでいるからでしょうね。街中もイスラムの家が数多く軒を連ねています。実際に来て見て歩いてみて実感し、体感することは本当に楽しいですね。

良い天気に恵まれ、毎度ながら楽しい北京あんてぃーく倶楽部の活動となりました。
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第40回北京あんてぃーく倶楽部活動予告(昌平巡り)

2017/02/01 09:54
2月度の北京あんてぃーく倶楽部活動予告になります。

今月は、昌平区を巡るツアーにしました。八達嶺長城に行く際に誰もがみたことのある雲台
ですが、その本当の姿をまじまじとみたことがある方は少ないのではないでしょうか。
「長城文化」とも言える学問の一端をのぞいてみませんか。

■日時
2月26日(日)

■スケジュール
0815 ケンピンスキーホテル・ロビー集合
0915 南口城
1000 居庸関・雲台
1100 宝林寺
1145 和平寺
1300 昼食(陽坊で陽坊涮肉)
1430 西貫市清真寺
1500 陽坊磨崖石窟
1530 陽坊村薬王廟
1730 市内着(ケンピン解散)

午後の予定につきましては、各文物の位置確認ができてませんので、無理そうなところは
省きます。陽坊鎮について詳しい方がいると助かります。

まだまだ寒さが予想されますので、防寒はきっちりお願いします。
ということで、お昼は涮羊肉で有名な本場陽坊鎮に行きまして皆でしゃぶしゃぶしましょう。

バスの予約がありますので、2月20日までに申し込みをお願いします。
初参加の方は、qianye74@hotmail.com(千葉)までご連絡ください。
→yahooメールは届かない場合があります。
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第39回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(国家博物館及び新年会)

2017/01/20 12:35
1月度の北京あんてぃーく倶楽部活動報告になります。

■日程
1月15日(日)

■スケジュール
0850 天安門東駅D出口集合
0900 中国国家博物館
1230 東交民巷飯店(新年会)
1500 東岳廟

今回は新年1回目ということで、中国文物を知るための基本のきの字、本物を見る目を養うという目的で中国国家博物館を参観しました。思えば、昨年はオフ会では来ましたが、PACでは来てなかったんですよね。何度来ても新しい発見がある素晴らしい博物館ですから、年2回は訪れたいところです。
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この博物館の最大のネックは9時の開館時に行くと必ず30分くらい外で並ばされるところです。無料ということもあるのでしょうが、もう少しなんとかならんもんかと毎回思います。今回は、総勢28名の参加。人数が多いため、一旦博物館入口入って右側にある竹林の七賢ブロンズ像の前で集合。
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ベテラン組は勝手にお好きなところを見てもらい、私のうざい解説を聞きながら回りたい人はご一緒にという方針だったのですが、20名近くが同行することになりちょっと驚き。毎年のことですが、重要文化財を中心に解説するも、とにかく展示会場がでかいので、どうしても丁寧に解説できるところとさーっと流してしまう場所が出てしまいます。
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唐代前に1時間半くらい使ってしまったので、その後は30分ほどでの説明となってしまいました。まあ、唐代以降の説明は首都博物館でやったほうがふさわしいということで。
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それにしても地方で発掘された文物はその地の博物館では展示されず、こちらの国家博物館展示になってしまうので、地方の博物館はレプリカ展示になってるんですよね。地方の観光政策的には大変マイナスだと思うのですが。
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集合時間通りに集まり国家博物館を後にします。皆で歩いて東交民巷をプラプラ。正義路を北側から入ったため、淳親王府、日本使館旧址、横浜正金銀行をみて東交民巷飯店に到着。新年会参加者は33名。嬉しい限りですね。
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歴史ある東交民巷飯店で東交民巷と五四運動の歴史を説明しつつ、今年のPACの活動方針など発表させていただきました。
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食後は、東交民巷を地下鉄崇文門に向けてプラプラ。日曜日ということもあり、サン・ミッシェル教会はミサを行なっていたのでしょう。珍しく開いてました。
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その後、有志9名で東岳廟に初詣。何度もきていますが、相変わらず見所の多い良い道観です。そろそろ民族博物館の展示内容を変更してほしいですが。
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今年も愉快仲間たちと数多く北京の魅力的な文物や旧跡を見て回れますように。
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第39回北京あんてぃーく倶楽部開催告知(新年会込み)

2017/01/04 19:23
明けましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

1月度の北京あんてぃーく倶楽部活動告知になります。
一年の初めですので、国家博物館にて諸々予習復習をしましょう。
特に初参加の方は是非是非積極的にご参加いただき、私の後を
ついて来ていただければと思います。ベテランは興味の赴くままにどうぞ。

新年会は、伝統ある東交民巷飯店にて、千葉が解説する「五四運動とは何か」
を聴きながら、鍋でもつついてください。

■日程
1月15日(日)

■スケジュール
0850 天安門東駅D出口集合
0900 中国国家博物館見学
1230 東交民巷飯店1Fレストラン 新年会

※新年会だけの参加も受け付けます。
※当日は、パスポート必携、でお願いします。

余力のある方は、東岳廟に新年のお参りに行っても
良いかと思います。

締め切りは、1月14日(土)まで。
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第38回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(清西陵・易県一泊二日ツアー)2日目パートA

2016/12/23 14:32
>2日目パートA
そこから、さらに農村の細道をひた走ります。そろそろ大通りに出るかなと言うところで、運転手が左にハンドルを切ろうとしたところを右に行くように指示出し。なんと曲がったすぐ左手の丘の上に目的の古塔を発見。
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鎮霊塔。元代創建。唐代には四面磚塔がよく見られますが、それ以降では珍しいのではないかと思います。まったく管理されてないボロボロの塔ですが、少し頑張れば中に入れるため、そこも古塔の中でもポイント高いです。ただ、保存を考えると登らない方が良いのですが。
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ここまでですでにお昼の時間を回っています。まさか2日目も昼食なしかと言う無言の圧力を背中に感じ始めます。ひとまず永済橋まで見てということで、百度地図が示す永済橋に行ってみますが、まったく何もない。やられました。ちなみに写真は夕暮れ時ではなく、空気が汚くてセピア色になってるだけ(涙)。
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すかさず撤収して、永済橋の代わりに琉璃河大橋へ。その付近が若干繁華街になっているのはわかっていたので、その辺りでようやく昼食。単なる胡麻味噌面だったのですが、お腹空いてたためか美味しくいただきました。
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琉璃河大橋は、なんと修築中。そこは工事のおっさんと交渉して参観許可をいただきます。立入禁止のはずの橋の上は、釣り人で溢れてます。
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かつて鬱蒼と茂っていた雑草が撤去され、石碑も大変見やすくなっていました。橋自体は相変わらずの美しさですが、空気が汚いせいでなんとなくよどんだ感じ。
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そして、今回のツアーの最終地点である西周燕都博物館へ。事前予約していたので、今回はとても好意的な態度でお迎えいただきました。結局今回どうしても見たかった2階展示部分はまだクローズしていて見られず。
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この博物館は、発掘現場の上に建てられており、王族の墓地の上に当たるため、車馬坑跡などを発掘現場のリアル感を持って見学することができます。初参観のメンバーも多かったので楽しんではもらえたよう。
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お約束の城壁跡を見学後、北京への帰途に着きました。そんなに歩いたわけではないのですが、それでも移動疲れでしょう。帰りはみんなしてこってり寝倒して帰りました。気づけばもう解散場所であるケンピンスキーホテル前。本当に楽しい2日間でした。
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後日談ですが、あまりに楽しかったのでしばらく私はPACロスでした〜(笑)。
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第38回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(清西陵・易県一泊二日ツアー)2日目パート@

2016/12/23 14:06
>2日目パート@
12月11日(日)、朝起きるとそこそこ気持ち悪い。まあ昨夜あれだけ盛り上がればしょうがないよね、と思いつつ、7時にはホテルの朝ごはんを食べにレストランへ。信じ難いことに、呑んだくれていた皆さんはすでに食事中。皆さん元気です。
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8時半にロビーに集合して、荊軻塔へ。前回荊軻塔に来た時もひどい二日酔いでしたが、今回は朝食食べたら完全復活。若干丘陵になっている荊軻公園の頂上部分にその塔はあります。
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荊軻塔。正式名称は、聖塔院塔。遼代の創建。地元易県の歴史的英雄・荊軻を祭り上げて観光スポットにしようとした形跡が見える公園ですが、確かにこの古塔は立派です。プレートも無事確保。
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公園の目の前は、国家的プロジェクト「南水北調」のために作られた人口河川とのことで見学。確かにこちらも立派です。ちゃんと使われているかは不明ですが。
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そこから、燕下都遺址を見るためにバスで農村地帯を走ります。百度地図上に示されている場所には、小高い丘のようなこんもりした場所があり、何名か先客がいました。
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あまり下調べしてなかったのですが、この燕下都遺址は、その都城跡が城壁だけでなく、食料倉庫跡なども点在していたようで、辿り着いたこの場所はその食糧倉庫の一部らしいと地元民が説明してくれました。
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次いで、その付近の燕子塔を目指します。よくよく見ると燕下都遺址の一部と思われる場所が点在しています。道幅の問題で、大通りにバスを止めて、なぜか凍結した胡同を徒歩で目的地へ進んでいきます。
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何やら騒がしい音楽が聞こえてきた付近に、燕子塔が見えてきました。この塔は、荊軻を刺客として送り出した燕太子丹を記念して作られたものと言われていますが、創建は遼代。なんとその対面には、最近作られたらしい黄金台があります。
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黄金台は、簡単に言うと「まずは隗より始めよ」で有名な郭隗を住まわせた場所で、その前に燕昭王の銅像まであります。マニアにはたまらないシチュエーションです。『史記』の文章が頭を埋め尽くします。早速郭隗気分で黄金台に登ります。そこでストーリーを一通り説明しましたが、黄金台から降りた側面の壁に、まったく同じことが説明文として掲示されていました。こう言うのは良いですね。
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そして八角十三層密檐式の燕子塔を見学。その古塔の前に、何か大殿でも作ろうとした木組みが組まれているのですが、志し半ばで放置されているようでした。頼むから撤去してほしい。
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ようやくじっくり見ようと思ったら、何やらお隣の広場で京劇をやっている模様でそちらが気になります。古塔はまた見に戻ってくれば良いかなと思って京劇を見に行ったところ、時間がなくなりそのままバスへ(涙)。
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第38回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(清西陵・易県一泊二日ツアー)1日目パートA

2016/12/22 16:55
>1日目パートA
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そして、これまた毎年の最大のお楽しみである回音壁へ。回音壁のある場所は、本当の名称は昌西陵といい、嘉慶帝の皇后の陵墓です。
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朽ち果てつつある隆恩殿の後ろに、円柱形の墓があるのですが、その周囲は円形の壁で囲まれています。その壁が回音装置となって、円柱形の墓から石畳7個分下がった場所で声を発すると、信じられないほどのエコーが生まれるのです。
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初参加組もおっかなびっくりでそれぞれ楽しんでくれたようです。壁電話も不思議そうに体験されてました。恒例の手たたきさんも出現し、一年の良い締めくくりになりました。

ひとしきり遊んで、いよいよ今回のメインイベント「紫荊関長城」を目指します。
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易県から西へ40kmの紫荊嶺にあるという紫荊関長城。居庸関、倒馬関と合わせて内三関と称されます。要するに北京の西の守りのかなめです。
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しばらく山登りルートをバスで登っていると、目の前に突然長城跡が現れます。ご丁寧に駐車場もあり、すぐさま降りて見学へ。まずは関所部分を見学。プレートにはなんと「万里長城」の文字が。しかも1956年の重要文物指定。レアだわー。関所に登って景色を一望して見ます。峰々に渡って雄大な長城が横たわっています。
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川沿いに降りて、長城の先端部分を見学。修理がされてない分味わい深い長城跡です。その長城を山の会現役会長が踏破します。すごいです。険しい長城を制覇されたい方はぜひ「山の会」に参加してください。会長が登ったのをみて、撤収の声がかかります。これぞ北京あんてぃーく倶楽部(笑)。
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紫荊関を堪能し、昼抜きで疲労度100%。易県のホテルまで高速を飛ばしたのですが、全員爆睡。思えば、朝からバスの中では基本爆睡。日々お疲れなのでしょうね。
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ホテルは、旅行会社に探してもらった易県で数少ない外国人が泊まれるホテル、易県百益城賓館に宿をとりました。
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外観から三流感丸出しですが、田舎らしくスタッフの対応は親切でよかったです。しかし、2階と4階でとった部屋は、4階の部屋がシャワーのお湯が出なかったところや、部屋が異常に寒かったところもあったようです。
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そんなことはさておき、腹ペコ集団は荷物を置いてすぐさま集結。少し歩いて安心安定の火鍋屋「小肥羊」にてど宴会。
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飲むのも飲みましたが、メンバーのがっつきようが半端なく、本気で腹減っていたことがわかり少々申しわけない気持ちに。と言いつつ、私も肉祭りで食べ倒しました。
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ホテルに帰ってからは、押さえて置いた小会議室にして、会議形式で着席して持ち込んだ未劣化アサヒビールや極上日本酒で大宴会。昨年も楽しかったのですが、今年もまた大盛り上がりで、11時ごろ終了。あっという間の1日目でした。
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第38回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(清西陵・易県一泊二日ツアー)1日目パート@

2016/12/22 16:51
12月度の北京あんてぃーく倶楽部活動報告になります。

12月は、毎年恒例の清西陵への一泊二日ツアーです。今回で4回目になりますが、毎回違う発見があり、全く飽きのこない鉄板コースです。今回は今回の楽しみを探求してきました。写真分量の都合から、4回に分けて報告します。


■開催日程

開催日:12月10日(土)−11日(日)

■当日スケジュール

@12月10日(土)
0730 ケンピンスキーホテル ロビー集合&出発
0930 清西陵(泰陵、崇陵、開音壁、永福寺、行宮)
1200 食事
1400 紫荊関長城
1730 ホテル着

A12月11日(日)
0830 ホテル出発
0900 荊軻塔
0945 鎮霊塔
1015 燕下都遺址
1100 燕子塔
1200 昼食
1330 永済橋
1430 西周燕都博物館
1730 北京市内着→解散

>1日目(12/10) パート@
毎年恒例の清西陵ツアーが今年もやってまいりました。今年の参加者は13名。機動力を考えると良い人数です。朝時間通りにホテルに集合して出発。
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とはいえ、約30分のビハインドで10時には清西陵到着。毎年のように、まずは易水プレートと大紅門を見るために、トイレ休憩兼ねて泰陵の神道正面にバスをつけます。15分くらいでトイレに行って帰ってくるだけと思ってましたが、30分以上を消化。今回のメンバーが団体行動が苦手な方々であることを確信。
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大紅門には「清西陵」プレートと世界遺産プレートがあります。その正面と両サイドには、こちらも必見の牌楼が立ち並びます。倹約家で知られる雍正帝は、もともと遺言で神道などは作るなと言明していたようですが、派手好きの乾隆帝が息子なわけですからそうはいきません。わが父のためにあっさり神道を整備。
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易水は毎年のように凍りついてます。12月ですからね。もはや3回目ですから、『史記』刺客列伝の荊軻伝「風粛粛として易水寒し、壮士一度去りて復た還らず」を弁士のように説明する私。
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時間も押していたので、メンバーのケツを叩きながらバスに戻り、行宮、永福寺を目指します。残念ながら、行宮は改装中で未開放。ここは、乾隆帝が雍正帝の墓参りに来た時の宿泊所跡地です。
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ついで永福寺に到着。過去には来たことがなく、初めてのお参りでしたが、大変立派な寺院で驚きました。
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聞けば、易県を代表する寺院だそうで、毎年大きなお祭りなどを開催しているそう。瑠璃瓦を使用した寺院ですから、皇帝家の菩提寺的な役割であることがわかります。乾隆三十八年(1773年)創建。
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そしていよいよ皇帝陵へ。実質最後の皇帝である光緒帝の陵墓・崇陵へ墓参り。
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ここは地下宮殿が拝観可能なのがウリですが、随分と全面的に改修中で、景観という面では今ひとつでした。
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本当は見れるところが見れないは悔しい。そして、また来年来ようと思ってしまう(笑)。
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時間も12時を回り、メンバーからのお昼のランチタイム要求を背中に感じながら、ひとまず雍正帝の泰陵を見学。
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こちらは見るべきところは全て見れます。各宮殿の修築などはちょくちょくやって来たようですが、やはり近くで見ると駆逐した部分が多く見受けられます。
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12月の割には暖かいとも思える最高の青空をバックに泰陵を眺めるのは本当に感動的です。
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しかし!タイムスケジュールが切迫していたため、非情な決断をメンバーに言い渡します。「昼飯は、抜き、でお願いします!」。その決断が後で正解だったことがわかるのですが、それはまた別の話。
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第37回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(頤和園探求ツアー)

2016/11/23 07:55
11月度の北京あんてぃーく倶楽部活動報告になります。

今月は、なんと頤和園です。あまりにありきたりでしょうか?いえ、おそらく頤和園に行ったことがある方は数多くとも、頤和園を堪能し理解している人は少ないと思います。アテンドで誰かを連れて行っても湖沿いをプラプラして疲れて終了というパターンが多いのではないでしょうか。

ということで、今回は午前中3時間かけてみっちり頤和園を探索することにしました。

■日時
11月20日(日)

■スケジュール
0800 ケンピンスキーホテルロビー集合
0900 頤和園探索(主に北側)
1200 食事
1330 北坞金山寺及劇楼
1430 団城、健営演武庁
1530 旭華之閣及松堂→近くに行ってみるだけ

心配していたほどの寒さでもなく、雨も霧雨程度の朝を迎え、やはりPACは「持ってる」と思いながらケンピンスキーホテルを定時に出発。同じ北京市内とはいえ、朝陽区から海淀区にある頤和園まで、渋滞もなく到着しても40分かかります。北京は広いのです。
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少し脇道のところでバスを降り、まずは脇目もふれず牌楼とその下にある頤和園プレートを見に行きます。牌楼は頤和園の入り口前ゲートですからね、と説明しながらふと顔をあげると、なんと改装中でカバーをかぶって周囲を壁に囲まれている牌楼を発見。ガーン!いきなり嫌な予感です。
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今日はがっつり見ると決めてきたので、聯票というお得な入場チケットを購入します。要は、頤和園の中は関所ビジネスをしていて、見どころ見どころで入場料を取るわけです。聯票は言うならばフリーパスですね。

今回、当初から決めていたルートは以下。
仁寿殿→耶律楚材祠→文昌院→玉瀾堂→長廊→排雲殿→仏香閣→知恵海→蘇州街→多宝塔→徳和園
このコースどりを見て、「なるほど」と思える方は頤和園検定1級です(笑)。普段なら人人人でこのコースどりだと3時間でも足りないのですが、天候のおかげでしょうか、この日は本当に観光客が少ない。
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とはいえ、PACは参加者15名で基本的に集団行動が苦手な方が多いので、一つの場所をみて出口付近で集合するのを待つというタイムロスは必ず発生します(笑)。最初の仁寿殿から早くもバラバラ。しょうがないので周囲にいる人向けに、仁寿殿が西太后と光緒帝の接客場所であることを説明し、サクッと耶律楚材祠へ。
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以前は普通に入れたと思うのですが、耶律楚材祠は立ち入り禁止になってました。仕方ないので普通に門を開けて中に入ってみます。ただの祠で何もない四合院作りです。なんか石碑があったような記憶があるのですが。
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ついで、文昌院へ。ここはかなり貴重な文物の展示場になっていて、古代中国の青銅器から清代を代表する磁器まで本物が展示されています。メインの展示場の見応えといったら素晴らしいものがあります。仮に聯票で入場しなかったとしても、各所にチケットを買う場所がありますので、ぜひここだけは外さないようにしてほしいです。
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長廊へ向かって歩いていると、目の前にあの戊戌の政変で失敗した光緒帝が西太后によって幽閉された場所である玉瀾堂が見えてきます。今は立派な四合院住宅といった趣ですが、大きな歴史の舞台になった場所です。それなりの感慨に浸ります。
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毎度「何かなこれは」と思って見かける巨石の湖側にアーチ状のポールが立っているのが見えます。どうやら、電話局跡らしく、清代末期、頤和園から東四あたりまで電話をかけられたようで、西太后からの指令も電話で指示されていたという驚きの事実を知ります。
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いよいよ長廊に入ります。約750m続くこの長廊は上部の梁に西遊記など色々な物語が描かれていると<中国世界遺産物語>で説明された通りに説明。排雲門まで続くこの長い回廊を若干上目遣いで歩きます。
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その突き当たりの場所が、排雲門、排雲殿です。この場所こそは、乾隆帝が清漪園を作った際に、「大報恩延寿寺」があった場所で、その基礎の上に今の宮殿建築群が建てられました。
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排雲殿からは山登りです。目指すは仏香閣。ここもしばらく改装していたのですが、今回は改装も終わり美しい千手観音を拝むことができました。それにしてもこんなに階段が長かったかと改めて痛感させられました。でも綺麗に瑠璃瓦で装飾された階段はそれを見るだけでも登る価値はあります。
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ようやく仏香閣に到着。この万寿山の山頂にある楼閣は、英仏連合軍によって一度破壊されてしまいましたが、西太后が巨額の海軍軍事費を使って改めて造ったものになります。本来なら、ここから眺める昆明湖の景色は景山公園から眺める故宮に匹敵する美しさですが、本日は濃霧で全く何も見えません。
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そこからさらに登って、知恵海へ。この瑠璃牌坊と呼ばれる知恵海は、全て石組みで作られているため「無梁閣」とも呼ばれており、側面には1008台の仏像が彫られています。この仏像も以前は顔が壊れてたり、なかったりしたのですが、今回完全に復活されてましたね。
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ここからは頤和園の北門に当たる北宮門の方向へ山下りです。ほとんどの方は、東門から入るため、北宮門から入った時の頤和園のビジュアルを知らないと思いますが、この風景は見ておかないと大損です。
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須弥霊境と呼ばれる、知恵海を頂点とするラマ系の古塔、楼閣で形成される風景は、まるで要塞のようです。
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そして、北宮門のすぐ側に流れる人口の河の周辺に作られたのが、蘇州街と呼ばれる場所です。
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江南の風光明媚をこよなく愛した乾隆帝が、どうしても北京にいながら江南を味わいたいという思惑で作らせたのが元々の蘇州街で、現在の蘇州街は1990年に重建されました。川沿いに、二人で並んで歩ける程度の幅の道を歩くその周囲にはレストランやお土産物屋、茶館などがやる気なく営業中。
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いよいよ東門に向かって折り返します。その道すがらに、瑠璃塔があるのですが、若干場所の確定に迷って到着。塔自体の修理は完了していましたが、周囲に囲みができていて近づくこと能わず。ただ、裏側からは完全な状態で見学することができ、「多宝塔」とも呼ばれる装飾美を堪能できました。
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最終ポイントは、徳和園。京劇鑑賞が趣味だった西太后が作らせた戯楼は荘厳な美しさです。
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ここで京劇が見れたら確かに嬉しいと思わせる場所です。館内はオルドスの青銅器展というマニアックな展示が開催中。

ここまで文章を書いてくるだけでもうお腹いっぱいな感じですが、実際には3時間歩き倒して腹ペコ状態。頤和園を出て、付近にあった「西貝莜面村」にて美食に舌鼓。オススメの中華料理店です。
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午後になって、朝より底冷えしてきたのと昼間に飲みすぎたビールでトイレが近くなってきました(笑)。明代創建、最近また全面改装した北坞金山寺に行ってみましたが、なんと日月曜日は休館日。ガーン!
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付近にあった関帝廟の区保プレートしか確保できず。また改めてくるしかないですね。
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気を取り直して、団城・健鋭営演武庁へ。健鋭営は、別名西山健鋭営とか、香山健鋭営、健鋭雲梯営などと言われ、清代八旗軍の特殊部隊であった雲梯部隊の駐屯地だった場所です。
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今も残る演武庁は、コロッセオのような円形の閲兵場で、ここで雲梯を使った攻城法などを演習していたかと妄想するとワクワクしてきます。
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今でもかなりの敷地が確保されていて大掛かりな訓練なども行われていたと推察されますが、健鋭営は2000人単位の部隊というので、そこまで大規模ではないようです。
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今は、演武庁前の3つの館が展示場になっており、満州八旗とこの演武庁の歴史を学ぶことができます。
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実はもう一箇所行く予定でしたが、濃霧と霧雨で視界が悪く、気温もさらに下がってきたため本日の北京あんてぃーく倶楽部の活動はこれにて終了。皆さすがに歩き疲れていたのでしょう(とはいえ、17000歩程度ですが)、帰りのバスは最終地点のケンピンスキーが見える直前まで全員爆睡(笑)。本当に楽しかったですねー。また頤和園深掘りのツアーを実施したいと思います。
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