アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
北京あんてぃーく倶楽部
ブログ紹介
おいしい食事とワインを楽しみながら、歴史ロマンを語れる文化サロン。月1回、博物館や骨董店めぐり、北京近郊日帰りツアーなど企画しています。

【倶楽部設立の経緯】
2013年6月、骨董収集歴20年の骨董オタクと中国古代歴史(宋朝以前が得意)オタクの2人がワインでいい気分になり、北京の歴史や文化とりわけ骨董(古美術)をもっと堪能するために、酔った勢いで設立

【倶楽部の活動方針】
活動回数は基本的に毎月1回
活動基本方針は下記の通り
A)北京のアンティークショップめぐり
B)北京郊外を含め、観光ガイドブックにはあまり記載されていないが、1人で見学するにはちょっと面倒くさいディープな史跡めぐり
C)博物館めぐり および有名な史跡を利用したレストランでの昼食
この3カ所を交互に見学する

にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ
にほんブログ村
zoom RSS

後編:2018年5月(オフ会)北京あんてぃーく倶楽部活動報告(明十三陵を全訪問)

2018/06/24 21:32
2018年5月(オフ会)北京あんてぃーく倶楽部活動報告(明十三陵を全訪問)の後編です。

1145 「裕陵(第6代/8代皇帝・正統帝/天順帝・英宗復位)」です。
画像

こちらも綺麗に修復された門はしっかり閉ざされています。
画像

画像

画像

1449年の土木の変でオイラトの捕虜になってしまい、一度は弟が7代皇帝として即位しますが、その後また8代皇帝に復権しました。6代14年、8代7年と合わせて21年の在位期間、38歳で崩御。

1155 「茂陵(第9代皇帝・成化帝)」です。ひっそりしています。
画像

画像

実際にはほとんどが未開放なのでこのように開かずの門だけ見るという修行僧のような行脚が続きます(笑)。
画像

成化帝:道士を重用し方術に傾倒。自分の乳母で19歳上の万貴妃を寵愛し、その万貴妃が牽制を奮って政治は混乱。東廠に対して西廠が出来たのもこの時。
画像

画像

1210 「泰陵(第10代皇帝・弘治帝)」です。柵で遮られていますが中の様子は良く見えます。
画像

画像

成化帝の三男で、万貴妃の追手を逃れ、幾度となく廃されそうになりながら成人。即位後は政務に励み「明中興の祖」となった。なんか、ドラマになりそう〜(笑)。
画像

1225 続いて 「康陵(第11代皇帝・正徳帝)」です。
画像

画像

陵墓の前は駐車場になっていて大型観光バスが何代も駐車しています。春餅宴料理を村の観光としているようで、たくさんの観光客が春餅を食べに来ていますが、誰も「康陵」は気にも留めません(笑)。
画像

画像

正徳帝は放蕩生活を続け、31歳で崩御。ここから明は傾いた国勢を元に戻すことが出来なかったとあります。

1255 「定陵(第14代皇帝・万暦帝)」です。食事は簡単にバス内で済ませどんどん行きます(笑)。ここは明十三陵で唯一地下宮殿が見学出来ます。「長陵」とともに観光客でにぎわっています。
先ずは三座橋、橋が3列並んでいます。
画像

画像

入場前にプレートと記念撮影。
画像

画像

この「定陵」のメインは一番奥に有る地下宮殿(石室)ですので、どんどん先に進みます。
画像

画像

大きな石室です。
画像
画像

画像

地上に出てきて展示を見学。発掘の様子などが紹介されています。
画像

画像

画像

万暦帝は10歳で即位し、歴代最長の48年の在位期間を誇ります。国勢に必要な費用は惜しみ、私的な事柄には凄まじい贅沢をした、とあります。

1345「昭陵(第13代皇帝・隆慶帝) 」です。
画像

画像

本来、昭陵は観光客に一般公開されていますが、現在は修復工事のため閉鎖中でした。
画像

画像

政務は大学士が代行し、隆慶帝本人は酒色に溺れて36歳で崩御、となっています。

1450 いよいよ13個目の「思陵(第17代皇帝・崇禎帝)」です。
画像

画像

崇禎帝は明朝最後の皇帝で故宮の北の現在の景山公園で自害されました。享年34歳。
画像

画像

画像

画像

近くにはその際に一緒に自害した宦官(王承恩)のお墓があります。
画像

画像

画像

1530 そして今日の最後が朝のスタート地点に戻り、「神道」です。
画像

画像

長陵の神道ですが、十三陵全体の神道のようになっています。
画像

画像

画像

画像

左右に並ぶ全部で36体の石像は圧巻です。神獣、獅子、駱駝、象、馬、将軍、品官、功臣などです。
画像

画像

画像

画像

画像

本当に精巧に作られておりいつまで見ていても見飽きません。満足感いっぱいで撤収。
画像

1800 夕方、帰路も渋滞もなく順調に北京市内に戻りました。そしてもう一つの楽しみ反省会。今日もまたアサヒビール片手に、楽しかった一日に感謝です。

結論;明十三陵は一日で全部制覇出来ます(笑)。開放されている陵墓が少ないからですが、それよりも今後はさらなる陵墓の開放が望まれますね!
画像

それではまた次回。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


前編:2018年5月(オフ会)北京あんてぃーく倶楽部活動報告(明十三陵を全訪問)

2018/06/24 21:27
画像

2018年5月(オフ会)PAC活動のご報告です。
今回の北京あんてぃーく倶楽部活動は「1日で明十三陵を全て訪問」です。

不定期シリーズ「北京の世界遺産めぐり」のご報告も兼ねております。

明十三陵を訪問された方は多いと思いますが、十三陵を全て、それも1日で訪問するという、ちょっと変わったテーマに12名メンバーが元気に挑戦。さてその結果は如何に。

■日時
2018年4月22日(日)

■実際ルート
市内集合
→長陵・石牌楼
→長陵・大紅門
→徳陵(第16代皇帝・天啓帝)
→永陵(第12代皇帝・嘉靖帝)
→景陵(第5代皇帝・宣徳帝)
→長陵(第3代皇帝・永楽帝)
→献陵(第4代皇帝・洪熙帝)
→慶陵(第15代皇帝・泰昌帝)
→裕陵(第6代/8代皇帝・正統帝/天順帝・英宗復位)
→茂陵(第9代皇帝・成化帝)
→泰陵(第10代皇帝・弘治帝)
→康陵(第11代皇帝・正徳帝)
→定陵(第14代皇帝・万暦帝)
→昭陵(第13代皇帝・隆慶帝/工事閉鎖)
→思陵(第17代皇帝・崇禎帝)
→長陵・神道→反省会。
※国保=国家文物保護単位

当日を時系列で追ってみます。
0730 早朝、北京市内に集合して、借切りバスで「十三陵」に向かいます。遅刻もなく定時出発。

そもそも明朝は17代の皇帝がいました。

初代洪武帝 明孝陵(南京、世界遺産)
第2代建文帝 北京以外
第3代永楽帝 長陵(@北京明十三陵)
第4代洪熙帝 献陵(A北京明十三陵)
第5代宣徳帝 景陵(B北京明十三陵)
第6、8代英宗 裕陵(C北京明十三陵)
第7代景泰帝 景泰陵(北京海淀区)
第9代成化帝 茂陵(D北京明十三陵)
第10代弘治帝 泰陵(E北京明十三陵)
第11代正徳帝 康陵(F北京明十三陵)
第12代嘉靖帝 永陵(G北京明十三陵)
第13代隆慶帝 昭陵(H北京明十三陵)
第14代万暦帝 定陵(I北京明十三陵)
第15代泰昌帝 慶陵(J北京明十三陵)
第16代天啓帝 徳陵(K北京明十三陵)
第17代崇禎帝 思陵(L北京明十三陵)

初代の洪武帝は南京、第2代皇帝は北京以外に(陵墓は無いとする説もあり)、第7代皇帝は海淀区の娘娘府に陵墓がありますので、本来17-3=14ですが、第6代と第8代皇帝は同一人物(復位)なので全部で十三陵となります。

0835 渋滞もなくまずは「石牌楼」に到着。
画像

十三陵全体の総門です。
画像

画像

もともとは「長陵(第3代皇帝・永楽帝)」の陵墓に続く、神道の入り口だったと思われます。

0845 次はすぐ近くの「大紅門」。世界遺産の大きな石碑が迎えてくれます。
画像

これも同じく「長陵」の一部。風格のある大門です。
画像

つまり「石牌楼・大紅門・神道(石獣像など)・長陵」へとまっすぐにつながっており、他の陵墓はそこから枝分かれしたような構造になっています。
画像

画像

0910 十三陵エリア全体の一番右にある「徳陵(第16代皇帝・天啓帝)」です。
画像

画像

ひっそりとしています。地名は徳陵村。
画像

画像

Wikipediaによれば天啓帝は16歳で即位するも魏忠賢の専横の時代で、やることもなかったのか、木工細工に熱中し、23歳で没したとなっています。
画像

全国重点文物保護単位のプレートに加えて最近、世界遺産プレートがすべての陵墓に追加設置されました。

永陵まで歩く手前に、徳陵の石碑と石橋を通過します。
画像

画像

画像

石橋はアーチが5つある大きく立派な五孔橋です
画像

画像

渡り切るとまっすぐ先に徳陵が拝めます。
画像

画像

画像

0945 約2キロ程度歩いて「永陵(第12代皇帝・嘉靖帝)」へ。
画像

「永陵(第12代皇帝・嘉靖帝)」に到着。
画像

こちらも陵墓の前に贔屓が背負った立派な石碑があります。ひっそりしています。
画像

画像

画像

嘉靖帝は歴代2位の45年間という在任期間を誇り、道教に熱中したため、道教に携わる人を多く高官として登用。最後は59歳で丹薬で中毒死とあります。

ここで貸切バス運転手との連絡ミスで15分程度待たされることに。十三陵全制覇に暗雲が立ち込めます。

1020 「景陵(第5代皇帝・宣徳帝)」に到着。
画像

柵に閉ざされた遠くに門がありますが、その横のプレートには間違えなく「景陵」の文字を読み取ることが出来ます。
画像

画像

画像

ここからの記念撮影は皇帝の代を手で表すことに(笑)。
画像

画像

4代皇帝仁宗洪熙帝の仁と宣宗宣徳帝の二文字で「仁宣の治」と言われたこの時代が明の全盛期と言う評価が一般的でこの時代の陶器が明代で最も評価が高いと言われているようです。
しかし、宣徳帝は宦官に学問を許し、太監(皇帝秘書)の権限を強化してしまい、その後の宦官政治を助長してしまいました。

1035 「長陵(第3代皇帝・永楽帝)」です。
画像

画像

こちらは今までの陵墓と異なり、大々的に観光用に公開されていますのでたくさんの観光客が訪れています。
初めて訪問のメンバーもいるのでチケットを買って入場。チケットは通票で購入。神道に行かないと逆に損してしまうのですが、PACメンバー掛けに出ます(笑)。
入ってすぐ右の墓碑もすごく立派です。
画像

画像

画像

この方が永楽帝。初代洪武帝の四男。
画像

画像

1398年、3年に渡った靖難の変で甥(洪武帝長男の子)である二代皇帝建文帝との戦いに勝ち、北京に都を移し、ここから北京での明の政治が始まります。
宦官の諜報活動及び残虐な刑の場であった東廠を作ったのは、まさにこの人です。

宝物の一部が展示されています。
画像

後ろには大きな土山と楼があります。お墓の石室は公開されていません。
画像

画像

1118 「献陵(第4代皇帝・洪熙帝)」です。綺麗に修復された門は固く閉ざされています。
画像

画像

幼少より病弱、超肥満体型で自分で歩くことも困難だったとありますが、先の第5代皇帝宣徳帝と並び「仁宣の治」の立役者です。
画像

画像

1126 「慶陵(第15代皇帝・泰昌帝)」です。
画像

画像

こちらは柵で仕切られていますが、中の様子は良く見えます。だいぶ草が多い茂っています。
画像

画像

慶陵の手前には石橋もあります。
画像

幼い頃から大変優秀だったそうで、臣下に期待されて即位するもわずか一ヶ月で崩御してしまいました。
画像


後編に続く〜
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


後編:第53回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(河北省シン台1泊2日ツアー)

2018/06/14 14:04
第53回PAC河北省邢台1泊2日ツアーの後編(二日目)です。

■実際ルート
南賈郷石塔(国保・唐代)
→開元古寺/開元寺(国保・唐の開元年間)
→天寧寺前殿(国保・俗称西大寺、唐代)
→ランチ(熱河食府)→清風楼(省保・元代、順コ府のシンボル)
→邢台道徳経幢(国保・唐739年)
→邢台火神廟/清代塔(省保・明1460年/火神真君廟)
→珍珠街
→塔林公園(開元寺/天寧寺高僧の墓地)
→浄土寺
→邢台東駅(G6736、1713邢台東)
→北京西站
→反省会
※国保=国家文物保護単位、省保=河北省文物保護単位

今日もいい天気です。
画像

ホテルで朝食をとり、マイクロバスで30分ほど、村人にいろいろ場所を聞いて国保・南賈郷石塔(唐代)に到着。
画像

画像

画像

もともとは近くにもう1つあり、白塔、黒塔と呼んでいたそうです(現存するのは黒塔)。

次は市内中心部にある国保・開元古寺/開元寺(俗称東大寺、唐の開元年間)。
画像

画像

画像

画像

画像

開元古寺と開元寺が並んで建てられており、開元古寺の方が歴史を感じさせるお寺です。こんなに立派なお寺なのに拝観料は無料。
画像

画像

金代大鉄鐘。
画像

画像

画像

1184年製、高さ3.2m、周囲7.5m、重さ9.1トン。

大鉄鐘と対になっておかれているのが唐代の経幢。高さ5m。
画像

画像

画像

境内には遠い昔に奉納されたであろう絢爛豪華な石柱・石塔がたくさん残っています。
画像

画像

画像

出口近くにも唐代の十六面経幢。高さ5.76m。
画像

画像

画像

一方、お隣の開元寺の建物は新しく絢爛豪華な感じ。
画像

画像

画像

次は国保・天寧寺前殿(俗称西大寺、唐代)。
画像

画像

画像

東大寺こと開元寺と対になっています。
画像

現存するのは前殿のみですが、後ろで后殿他の再建工事が行われていました。
画像

巨木をその場で製材し組み立てる一大事業です。
画像

楽しいランチは熱河食府。承徳料理です。
画像

画像

午後の最初は順コ府のシンボル、省保・清風楼(元代)。
画像

画像

すぐ後ろは国保・邢台道徳経幢(唐739年)。
画像

開元二十七年(739年)唐の玄宗による道徳経の注釈を記した石幢とのこと。

徒歩で省保・邢台火神廟(明1460年/火神真君廟)へ。
画像

画像

画像

画像

すぐとたりには清代と思われる無名の塔。
画像

画像

画像

塔林公園へ。
画像

ここは開元寺/天寧寺高僧の墓地であり、塔林があるはずでしたが、現在は普通の公園でした。
画像

邢台塔林遺祉の石碑が残るのみ。

最後は浄土寺。
画像

画像

画像

画像

南北朝時代最大の外来高僧仏図澄が、232年〜248年の間この地に居を構えた1600年以上の歴史を持つ古刹です。また金末元初の高僧万松行秀(万松老人/耶律楚材の師)が第14代住持となった寺とのこと。

駆け足で見て回って邢台東駅から高鉄・G6736(1713邢台東駅発)で北京西站へ。
画像

市内で開催の恒例の反省会は大いに盛り上がりました。
画像

画像

今日もまたアサヒビール片手に素晴らしい仲間に乾杯。
それではまた次回。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


前編:第53回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(河北省シン台1泊2日ツアー)

2018/06/13 22:33
2018年5月PAC活動のご報告です。
今回の北京あんてぃーく倶楽部活動は「河北省邢台1泊2日ツアー」です。
13名のメンバーが元気に参加。
まずは前編(初日)をお届けします。

■日時
2018年5月12日(土)〜13日(日)

1日目
■実際ルート
0620北京西駅集合→高鉄(G651、0658北京西駅、0850邢台東駅)
→東岳天斉廟/東周時代(前475〜前221年)創建
→興固寺(省保・北宋創建)
→平郷大観聖作之碑(省保・北宋1108年/元々は平郷文廟の遺物)
→ランチ
→平郷文廟大成殿(国保・北宋1008年〜1016年創建)
→鵲王廟/鵲王墓(省保・北魏497年創建/内丘県)/雷雨・雹
→ホテルチェックイン
→夕食(好運来小火鍋)
→ホテル二次会
※国保=国家文物保護単位、省保=河北省文物保護単位

早朝、0620北京西駅に集合して、高鉄G651(0658北京西駅発)で邢台に向かいます。
0850邢台東駅に到着。
画像

画像

手配してあったマイクロバスで東方向の平郷県方面に向かいます。

東岳天斉廟に到着。
画像

東周時代(前475〜前221年)の創建です。広い境内ですがお参りする人もおらず静かです。1つ1つの部屋に神様が祀られ、とてもきれいに整備されています。
画像

画像

人の顔を象ったあまり見たことの無い鉄鐘があります。
画像

「全神殿」です。
画像

部屋中にたくさんの神様が祀られ壮観です。
画像

画像

暖かく導師様が迎えてくださいました。
画像

そして見送りまで(笑)。
画像

省保・興固寺(北宋創建)です。
画像

画像

画像

画像

省保・平郷大観聖作之碑(北宋1108年)。
画像

画像

画像

画像

画像

公園の中に有りますが、元々は平郷文廟の遺物だったとのこと。

近くでランチタイム。
画像

画像

楽しく盛り上がりすぎてついつい予定時間を超過(笑)。午後の予定を急ぎます。

国保・平郷文廟大成殿(北宋1008年〜1016年創建)です。
画像

画像

もともとは大きな廟だったようですが、現在は大成殿しか残っていません。
画像

画像

敷地の後ろには古い布目瓦の破片が散乱し、多くの建築物があったことを想像させます。

今度は市内を通り越して西方向に向かいます。バスで1時間ほど走ると山々が近づいてきて、内丘県の国保・省保の鵲王廟/鵲王墓(北魏497年創建)に到着。
画像

画像

画像

到着したと思ったらいきなりの雷雨と雹。
画像

画像

廟の中が屋根のある回廊になっていたのでここで雨宿り。すごい量の氷です。
画像

ここで1つの見どころが、漢代の神獣石造です。
画像

画像

もともとは韓厥(春秋時代晋の名宰相)墓の翼獣でしたが、現在は鵲王廟に保管されています。当初は4体あったそうですが散逸し、1体は米国のフィラデルフィアに有るとのこと。

突然、雨が止み晴れ間に。本格的に「鵲王廟」を散策します。
画像

扁鹊墓です。
画像

画像

画像

扁鹊(前407〜前310年)は古代中国を代表する名医で「神医」と呼ばれたそうです。記念館もあります。
画像

画像

広い敷地の一番後ろは三清四御殿です。
画像

画像

画像

敷地内の全体を俯瞰できます。雨上がりで遠くの山が綺麗。
画像

画像

画像

薬泉もあります。
画像

画像

素晴らしいところで離れがたし。最後にもう一度記念撮影。
画像

画像

すっかり堪能して邢台市内へ。ホテルチェックインを済ませて夕食に繰り出します。
画像

画像

今日はアウトドアで火鍋。楽しい時間が過ぎていきます。
後編に続く〜
記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


第52回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(下・盧溝橋)編

2018/05/07 21:21
2018年4月第52回活動報告(下・盧溝橋)編です。

本日最後は「盧溝橋」です。

盧溝橋へ行く前に駐車場近くの七七事変の砲弾跡を見学。
画像

画像

続いて国保に同時登録されている明末に建設された城郭都市・宛平県城を簡単に見学します。
画像

画像

画像

そして、盧溝橋へ。
画像

画像

画像

画像

入場料は20元です。
全長266.5m、金代の明昌3年(1192年)に完成し、かつてこの地を訪れたマルコ・ポーロがその素晴らしさを著書「東方見聞録」に書き残しています。

先に橋に向かって左手にある橋全体を俯瞰出来る場所へ行きます。
画像

画像

一度外に出ますが、チケットを見せればまた中に入れます。
画像

全体を見ると11のアーチがある石橋であることが分かります。
画像

欄干の色がところどころ違います。数多くの修復を繰り返してきたのでしょうね〜。
画像

画像

画像

アーチの格好をしてみましたが、あんまりシンクロしてませんねえ(苦笑)。

中央に戻ってきましたが、まだ橋は渡りません(笑)。
画像

画像

橋のたもとには乾隆帝の筆と伝わる「盧溝暁月」の石碑があります。燕京八景の1つに数えられます。

橋の始まりは華表からです。
画像


すぐ下には橋の両端を支える石獅子像があります。
画像

画像

専門家によれば金代のオリジナルではないかということです。

ようやくプレートにたどり着きました。
画像

先程の宛平県城を含んだ国保プレート。堂々の第一批准です。
国保は今や第七批准まであり、その数も中国全土で4,400を超えますが、1961年に国務院から初めて制定された第一批准の国保は全国で180ヶ所のみでした。1961年制定の第一批准プレートを見るとなんだか神々しく感じます(笑)。
ちなみに北京にある第一批准の国保は18ヶ所で以下の通りです。

1.北京大学紅楼/“五四”運動記念地
2.盧溝橋(含宛平県城)
3.天安門
4.人民英雄記念碑
5.房山雲居寺塔と石経
6.妙慶寺白塔
7.真覚寺金剛宝座(五塔寺塔)
8.居庸関雲台
9.故宮
10.万里長城−八達嶺
11.天壇
12.北海と団城
13.智化寺
14.国子監
15.雍和宮
16.頤和園
17.周口店遺跡
18.十三陵

いよいよ橋を渡ります。ここまでで駐車場から40分以上掛かりました(笑)。

盧溝橋の特徴は欄干に並ぶ501体の獅子像。金代、元代、明代、清代、民国期、現代と6時代の石獅子が共存していることです。
その違いを詳しく書いてあるのがこちらの著書です。
画像

一冊3,000円を超える専門書ですが、日本語で詳しく記述されていてとても参考になります。

早速、本からの資料写真を片手にそれぞれの時代の獅子像探しをスタート。
画像

画像

画像

こうした文物の楽しみ方も文物をとても身近に感じさせますね。そして本の中の写真と同じ現代の石獅子を発見!
画像

こちらは清代末期から民国時代。
画像

この本やインターネットでの情報によるとこの時代の石獅子の特徴は、
1) 彫刻が粗い
2) 後頭部の巻き毛がひと巻きかふた巻
3) 石材が暗い
とあります。なんか難しい〜。

次に清代の石獅子を見つけました。
画像

画像

特徴は、
1) 胸を張っている
2) 口腔内は空洞(明代共通)
3) 体の上に載る獅子がいる(明代共通)
4) 彫刻が詳細
5) ゆったりとした首輪を掲げている
6) 巻き毛が高々と突起している
7) 切れ長で細い目元
8) 狂暴さがない
9) 石材が暗い青色ないし赤色
本の写真と照合しないと良く分かりません。文物局による各時代の石獅子が特定できるような公式発表が欲しいところです。
画像

メンバーの皆さん、結構真剣です(笑)。

こちらは明代です。
画像

画像

1) 体系は太く短い
2) 毬や子獅子を踏んでる
3) 体の上に載る獅子がいる(清代共通)
4) 口腔内は空洞(清代共通)
5) 舌が上側を舐めている
6) 胴と足の間に空洞がある
とあります。正直なところ特徴だけでは正確に区別が付きません。本の写真と同じ石獅子を探すだけで大変です。でもなんか楽しい〜(笑)。

元代の石獅子に突入です。
画像

画像

画像

画像

この辺から古さが際立ってきます。

最後は金代です。盧溝橋創建当時の石獅子です。
画像

画像

画像

画像

金代と元代の特徴はほぼ同じで違いが分かりません。
1)体系やや細長い
2)眼光するどく頭部の割合が大きい
3)顔幅狭く、頬が持ち上がり顎が痩せている
4)口は開いているが口腔内はふさがっている
5)足が短い
6)前足にウロコ上の甲冑紋
7)首輪を洒脱に巻いている(どんなん?)
8)胸元に小さな鈴
9)なで肩(笑)
10)全体の風化が著しい
確かに石獅子の大きさが全体的に小さいのと風化が進んでいるのは良く分かりました。
元代、金代であろう似たような石獅子を他にも何体か見ることが出来ました。
時代の古さが分かると何なんでしょうか?結構どれも可愛く思えてきます(笑)。

反対側まで渡ります。橋の両端は先程の獅子ではなく象さんです。
画像

画像


十分盧溝橋を満喫して入り口まで戻ります。
画像

画像

画像

盧溝橋には轍の刻まれたオリジナルの石板も残ります。
画像

画像

画像

画像

夕方、北京市内に到着。いつものお店で反省会。
画像

画像

今月末で北京を離れるメンバーも反省会から合流。今日もまたアサヒビールを片手にいつまでも思い出話しに花が咲きました。

それではまた次回。

記事へ面白い ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0


第52回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(中・戒台寺)編

2018/05/06 08:08
2018年4月第52回活動報告(中・戒台寺)編です。

尚、潭柘寺と戒台寺はPACでほぼ3年前の2015年5月に一度訪問しています。その時は26名の参加。当時も参加して今回も参加しているメンバーはわずか1名。3年でメンバーも入れ替わるものですね〜。当時の活動報告は2015年6月にありますので、そちらも合わせてご覧ください。

さてさて、潭柘寺を後にして、近くのレストランで早目の昼食。
画像

画像

画像

画像

お店の名前にもなっている「鹿角麺」とは鹿角という名の植物を煮つけた餡がかかった麺でした〜。
画像

画像

たくさん食べて飲んで、お一人様40元(約700円)のお会計です(笑)。

午後の最初は「戒台寺」です。
画像

レストランからは10分程度で到着。寝る暇もありません(笑)。
画像

画像

戒台寺は唐代武コ五年(公元622年)に慧聚寺として創建。

まず目を引くのが立派な松の木。
画像

遼代の塔もあります。
画像

画像

画像

画像

近くには遼代、元代の石柱があり、ガラスケースで大切に保存されています。
画像

画像

画像

画像

画像

石柱の隣りには明代の素晴らしい仏龕があります。こちらも見逃せません。
画像

画像

画像

そして何と言ってもお寺の名前にもなっている戒台殿の「戒台」です。
画像

画像

漢白玉石で造られていて一辺が3.5mの正方形。杭州昭慶寺、泉州開元寺とともに中国三大戒台と呼ばれ、戒台寺はその筆頭と言われます。
画像

画像

画像

戒台の周りにはずらっと像が並びますがこんなユニークなものまで。ここで高僧のお説教を聞いたのですね〜

戒台殿の両脇は五百羅漢堂になっており、覗くと羅漢様の数々。未開放となっているのが残念なところです。
そしてその奥には大悲殿があります。
画像

屋根も超オシャレです。屋根の上に塔が建っています〜
画像

画像

戒台殿殿頂金剛宝座塔。日本のある文献では戒台殿屋塔と呼んでいます。1477年創建。5メートルの中央塔と周囲に小さな塔を4基配置した金剛宝座式塔で、屋根に配置される塔では非常に珍しい形です。

大悲殿北魏時代の仏像もずらり。
画像

画像

約1500年も前の仏像が、係員もいないところで数十体も置かれているのがこのお寺の凄さです(笑)。

ちょうどライラックなどお花が見ごろでした。
画像

画像

画像

画像

画像

5月には牡丹の花がきれいに咲くようです。
画像

画像

画像

メンバーがバラバラで参観している間に、先に戻ってきた一部のメンバーで記念撮影〜。
画像

画像

忘れてました。奥に見える大雄宝殿の扁額は清朝第6代皇帝乾隆帝の御筆です。
画像

画像

メンバーの一人がリスを発見!
画像

見どころ盛りだくさんの(中・戒台寺)編でした。(下・盧溝橋)編に続く〜
記事へナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0


第52回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(上・潭柘寺編)

2018/05/05 10:18
2018年4月PAC活動のご報告です。
今回の北京あんてぃーく倶楽部活動は「門頭溝区の潭柘寺・戒台寺と盧溝橋めぐり」です。
まずは「上・潭柘寺」編です。
午前中は小雨の少々肌寒い1日でしたが、17名のメンバーが元気に参加。

■日時
2018年4月22日(日)

■実際ルート
0730北京市内集合
→潭柘寺(国保)/潭柘寺塔林
→昼食
→戒台寺(国保)
→盧溝橋(国保)
→北京市内/反省会
※国保=国家(全国)重点文物保護単位

早朝、北京市内集合に集合して、借切りバスで「国保・潭柘寺」に向かいます。“先有潭柘,后有幽州”(まずは潭柘寺が出来て、その後に北京城が出来上がった)という言い方がある通り、潭柘寺は西晋年間(265年- 420年)の創建といわれる古刹です。創建当時は嘉福寺と呼ばれていたようです。

潭柘寺の駐車場に到着、ここから少しなだらかな山道を歩きます。早速、山道は潭柘寺塔林の裏側を通っており、しっとりと雨に濡れた古塔がずらりといい感じです。まずは虎を埋葬したという伝説のある「虎塔」がお出迎え。
画像

画像

清代晩年の建立のようです。

右手にはあとで見に行く予定の下塔林。こちら側からは壁があって入れませんので、上から眺めます。
画像

画像

チケット販売所前の塔も、ぐるりと回ります。
画像

2基ともなにも表記がなく、建立年代も不明です。

チケットは潭柘寺と戒台寺の通しチケットを買います。80元(バラだと100元)。
チケットを買った後は、結構歩きにくい石段を数分登って行きます。
画像

登りきると入り口手前にプレートがあります。
画像

潭柘寺の入り口でお決まりの集合写真。
画像

画像

チケットゲートを過ぎた目の前は山門です。珍しく人がいないので、チャンスとばかりにここでも集合写真(笑)。
画像

山門をくぐると、朝からたくさんの参拝客が来ています。
画像

入ってすぐの右側には「大銅釜」。
画像

画像

画像

画像

潭柘寺にはもともと3つの大釜(蒸し釜、粥釜、炒蔡釜)があったそうで、現存するのは粥釜です(直径1.85m、深さ1.1m)。この粥釜で潭柘寺で修行する多くの僧の食事を賄ったそうです。

潭柘寺のもう一つの魅力が「古樹」。すっかり緑になった古樹が雨に映えます。
画像

画像

画像

大きなマニ車、メンバーたちがぐるりと回って徳を積みます(笑)。
画像

画像

次は「礼塔(金剛延寿塔)」です。
画像

画像

お寺の少し奥の右手に有るラマ式白塔です。
画像

みんな塔の周りを廻って願い事をします。地味な塔ですが信仰の深さを感じる塔ですね。

雨が少し強くなってきましたが、緑や真っ赤な蓮をかたどった蝋燭の炎がますますクッキリと映えます。ライラックの花もとても綺麗。
画像

画像

画像

お寺の奥、左手の「魚石」です。
画像

画像

この魚石は空から降ってきたという伝説があり、自分の身体の悪い部分を魚に見立てて撫でると回復すると言われ、みんな撫で撫でするのでお魚はピッカピカ。長さ1.7m、重さ150kgの大きなお魚です。
画像

画像

皆さん、頭が良くなるように魚石の頭を撫で撫で(笑)。

お寺の敷地をちょっと出ますがすぐ隣には「観音洞と老虎洞」があります。
画像

画像

画像

お寺の敷地内に戻り山を少し下ると「戒壇」と「関帝廟(三財神殿)」です。
画像

画像

画像

戒壇はご存じの通り、高僧がお説教をした場所。「関帝廟」はお金が貯まる運気で満ち溢れています。
画像

お寺の右側に見落とした場所があったのでフォローします。
画像

潭柘寺の名前の由来となった龍潭の淵へは通行止めでした。手前の牌楼も新しいのだそうです。

次は「流杯亭」。
画像

画像

画像

画像

流杯亭は水にの流れで表現される線画で、見る方向によって虎と龍の頭に見えます。え、どっちが虎?龍? 

「乾隆宝座」
画像

画像

画像

乾隆宝座は乾隆帝が6回、潭柘寺を訪れた際にお休みされた場所です。乾隆帝と宦官の蝋人形像は新しい物、壁画は乾隆帝が潭柘寺を訪れている様子だと説明に書いてありますが、壁画が書かれた時代の記載がありません。残念ながら中は撮影禁止でした。

雨の古刹をすっかり堪能して次は潭柘寺「塔林」へ。
画像

「塔林」は上塔林と下塔林の2ケ所があり、まずは上塔林の横を通り過ぎます。
画像

上塔林は以前より非公開ですので塀の外からちょっと見るだけ。
画像

画像

画像

そして下塔林へ。
画像

しか〜し、「修復のため当分閉鎖」の張り紙です。残念。。。ここにはたくさんの高僧を顕彰する塔があり、その中には長野県出身の日本人高僧や遠くインドや西インド(パキスタン?)出身の高僧の塔もあります。またフビライの娘、「妙厳公主」塔などもあり、楽しみにしていたのにちょっと残念。
画像

画像

以上、「上・潭柘寺」編でした。「中・戒台寺」編に続く〜。
記事へナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0


<北京の世界遺産めぐり>頤和園十七孔橋「光のトンネル」編

2018/04/11 20:28
画像

不定期シリーズ「北京の世界遺産めぐり」の頤和園十七孔橋「光のトンネル」編です。

頤和園は元の時代に貯水池だった場所が明代を経て、光緒帝の時代に西太后の故居として整備され、この時に名前が清漪園(せいいえん)から頤和園に改称されました。

清代末期まで西太后の避暑地として利用され、共産党による中華人民共和国が1949年に建国後、1953年に公園として一般開放されました。

1998年にユネスコ世界文化遺産に登録。現在も故宮に並ぶ北京有数の観光名所です。

広さは290ヘクタールで東京ドームの62倍。故宮の4倍以上あり、本来は丸一日掛けても良い大きさです。
画像

手書きでなんか雑ですみません。これで広さがお分かりかと思います。

通常の観光コースは、東門から昆明湖を挟んで仏香閣を望み、通しチケットを買っていれば少し南に歩いて文昌閣と文昌院博物館を見学し、また北に戻って、西太后の住んでいた楽寿堂、長廊を経て万寿山の仏香閣へ上ります。
画像

仏香閣 : 乾隆年間 (1736〜1795年)創建。英仏連合軍により破壊され、西太后の時代に再建。2015年9月撮影。

昆明湖の全景を見て、蘇州街を抜けて北宮門出口に出るのが一般的なコースです。これでも2時間くらい掛かってしまいます。
画像

仏香閣から昆明湖を望む。2018年1月撮影。

時間に多少の余裕があれば、文昌閣からさらに南の十七孔橋を見たり、あるいは仏香閣からさらに西にある石舫を追加コースに入れます。夏場なら昆明湖を横断するボートを乗るとかなり機動的に回れますのでオススメです。
画像

石舫あるいは清晏舫(せいあんほう)と呼ばれている石の船です。1755年創建、1893年再建。

さて、今回は季節限定ですが、頤和園の観光の一つをご紹介します。

タイトルにある、”光のトンネル”と言うのは、東門から一キロほど南に下った十七孔橋で見られる光景です。
画像

十七孔橋(じゅうしちこうきょう)とは清代の乾隆帝(1736一1795)時代に作られた17個のアーチを持つ園内最大の橋です。長さは150メートル。欄干の獅子も544体を数え、盧溝橋の501体を超える非常に美しい橋です。

この橋の設計者が、毎年冬至の前後にこのアーチに夕日の光が射すように設計したのです。なんとも凄いことを考えたんですねえ。

中国語では、
金光穿洞
金光穿孔
红光穿洞
红光满洞
红桥洞
などの呼び方をされていて、日本語では近年「光のトンネル」と呼ばれているようです。
筆者Sはその絶景をなんとか写真に收めるべく奮闘して参りました。
さあ、それを時系列で追って見ることにしましょう。

撮影日は2017年12月24日(日)です。この年の冬至(一年で昼が最も短い日)は二日前の12月22日でした。

この日はクリスマスイブ。しかし、単身者には全く関係ありません(笑)。当日は朝から昆明湖の西側をテクテク歩いて、仏香閣前を抜けて、ようやく十七孔子橋前まで来ます。
画像

15:39 真冬で人もそれほど多くなく、一人のカメラマンが湖面からの風景を撮影しています。「おお〜あんたもイブなのに頑張るねえ、お互い良い写真が撮れるといいねえ」と心の中で意味不明なエールを送ります(笑)。
画像

15:46 まだ空も明るく時間もあるので、橋の手前の銅牛の写真を撮ったりなんかします。
画像

15:54 橋に到着〜。太陽が石獅子を射す感じがなんか良い感じです。なんとなく人が増えてきたような。。。
画像

15:56 橋の上から仏香閣を望みます。良い天気ですねえ。さあ、ここから目的の写真を撮影すべく、橋の反対側に渡ります。
画像

15:58 えっ!?
画像

15:59 え〜〜〜〜〜!!!???
なんと、物凄い人です。完全に出遅れです。
画像

画像

16:01 人混みを分け入って撮影した記念すべき一枚目。「光のトンネル」はすでに始まっています。左上の枝はなに?道理でこのポイントにすすっと入れたわけです(苦笑)。インスタ映えしないので場所を移動します(笑)。
画像

16:04 前列までとても行けないので背伸びしてカメラを上にあげての撮影です。撮った写真のほとんどはブレブレになってしまってなんとか形になった一枚。この写真から17のアーチすべてにきれいに光が射し込んでいるのが分かります。しかし、光そのものが明るい状態で個人的にはまだ好みの色じゃありません(苦笑)。
画像

画像

16:12 もっとベストポジションがないかと後ろに回ったら返ってひどい結果に。。。時間だけが無情に過ぎます。
画像

16:28 橋から昆明湖沿いにかなり離れたところから撮影。一番右のアーチが欠けてしまいました。。。
画像

画像

16:36 このあたりがピークだと思います。色も赤く染まってきてまだ17のアーチにぎりぎり光が入っています。
画像

トリミングしてみました。素晴らしい景色が目の前に広がります。天文学を知り尽くした橋の設計者は天才です!本当に感動ものです。
画像

画像

16:48 深い赤色になってきてとてもきれいですが、アーチから光が一つまた一つと消えていきます。記事にするような写真としてはもう使いものになりません。
画像

16:49 前の写真からたった一分。あっという間に「光のトンネル」は終わりを迎えました。
画像

16:55 日が沈みます。今から100年以上も前、西太后や光緒帝も同じ景色を見たのでしょうねえ。
この時期に頤和園にお越しの際はぜひ日の入りまで残ってこの「光のトンネル」を楽しまれてみてはいかがでしょうか?
それではまた次回の連載をお楽しみに〜。
記事へ面白い ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0


後編:北京あんてぃーく倶楽部オフ会活動報告(河北省唐山)

2018/04/07 22:53
河北省唐山めぐりの後編です。

午後の初めは「唐山博物館」。
画像

画像

大きな博物館で、中央に毛沢東さまの像がすくっと立っておられます。
画像

画像

画像

画像

唐山伝統文化の「皮影」、「評劇」の展示が充実しています。

次は「中国鉄路源頭博物館」。
画像

画像

ここは光緒七年(1881年)敷設された唐胥鉄道の起点であり、「0」の文字が見えます。
画像

画像

当時の駅舎も残っており、鉄道マニアにはたまらない場所ですね。

そして最後は「唐山地震遺祉紀念公園/唐山地震博物館」。
画像

画像

唐山地震は1976年7月28日に発生したマグニチュード7.8の直下型地震で、24万人の方が犠牲になったと伝えられています。
画像

画像

公園内に入るとまずは高さ7.28m、長さ493mの記念壁が目に入ってきます。犠牲になった24万人の方のお名前が記されています。

広大な公園を進むと一番奥には「国保・唐山機車車輛廠鋳鋼車間地震遺祉/唐山机车车辆厂铸钢车间地震遗址」が被災したそのままの状態で国保プレートと共に保存されています。
画像

画像

画像

そして「唐山地震博物館」です。
画像

画像

画像

画像

たくさんの写真や当時の実物資料が展示されており、被災からの復興の経過を詳しく伝えています。

小雨はだいぶ雪混じりになってきました。天候も心配なのでこのあたりで唐山を後にして北京市に戻ります。
少々距離が遠く、なかなか行き難い唐山を十分に探査で来て大満足の1日でした。
画像

反省会ではスーパードライを片手に、明後日、日本へ帰任するメンバーと楽しい思い出話しがいつまでも続きました。それでは今日はこのへんで。また次回お会いしましょう。
記事へナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


前編:北京あんてぃーく倶楽部オフ会活動報告(河北省唐山)

2018/04/07 22:51
2018年3月オフ会活動のご報告です。今回は「河北省唐山市めぐり(前編)」です。
天気予報は季節外れの「雪」。。。
少々肌寒い1日でしたが、15名のメンバーが元気に参加しました。

■日時
2018年3月17日(土)

■実際ルート
0700北京市内集合
→国保・省保・天宮寺塔
→車軸山中学(国保・豊潤中学校旧址と国保・寿峰寺)
→ランチ
→唐山博物館
→中国鉄路源頭博物館
→唐山地震遺祉紀念公園・唐山地震博物館(国保・唐山機車車輛廠鋳鋼車間地震遺祉)
→北京市内・反省会
※国保=国家文物保護単位、省保=河北省文物保護単位

早朝、北京市内に集合して、借切りバスで「河北省唐山市」に向かいます。
唐山市は1976年の唐山地震でよく知られますが、北京の東北東方向に約180km、中国近代工業発祥の地として炭鉱、製鉄、陶業などが早くから起こり、総人口759.6 万人(2016)の河北有数の大都市です。

あんてぃーく倶楽部的には、明代に既に製陶業が始まり、「景徳鎮」とならぶ「北方の陶都」と称されたあたりに惹かれます。また中国共産党創設の主要メンバーだった李大サ氏(1888-1927年)の生まれ故郷でもあります。

そんなこんなでまずは「国保・天宮寺塔」に到着。
画像

画像

画像

公園内の石碑を見ながらお目当ての塔に向かいます。
画像

画像

画像

さっそく、省保プレートを見つけて撮影。
画像

天宮寺塔:遼代清宁元年(1055年)創建。立派な塔です。
画像

画像

画像

画像

各自思い思いに塔の周りを散策してはカメラに収めます。
画像

画像

こんな龍の装飾がされています。
画像

画像

画像

国保プレートもゲットしてもう一度みんなで記念撮影。

次は20分ほど南に下ったところにある「車軸山中学」です。
画像

ますは車軸山中学の立派な門、ここから入ります。
画像

1903年建学の現役中学で、許可を頂いて見学させていただきます。
画像

広い敷地の西側半分が「国保・豊潤中学校旧址」になっており、この豊潤中学校旧址の北端に小山があり、山頂部に「国保・寿峰寺」があります。
画像

まっすぐ進むと「通称・大紅門(赤門)」。この両サイドに豊潤中学と寿峰寺の国保プレートがあります。
画像

画像

画像

山頂部の寿峰寺が近くに見えてきます。しっとりした品の良さを感じつつ歩きます。
画像

またまた立派な門をくぐると校史館です。
画像

画像

画像

100年前の建築物。どの建物もとても趣きがあり見入ってしまいます。

続いて老図書館です。
画像

画像

「学無止境」と書かれた石碑。

現役で使用されている教室の左右の階段を上ると山頂部の「国保・寿峰寺」です。
画像

画像

画像

画像

画像

寿峰寺は無梁閣(遼代重熙六年/1037年)、薬師霊塔(遼代重熙六年/1037年)、文昌閣(民国年間/1913年)の3つから構成されています。
画像

画像

薬師霊塔はオシャレな華塔様式、無梁閣は存在感たっぷりの独特のスタイルです。

遠目から3つの建物を押さえます。
画像

画像

画像

画像

お腹もすいたので重慶火鍋で昼食。
画像

画像

画像

画像

みぞれ混じりの小雨になりましたが寒い時には火鍋ですね〜
後編に続く〜
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


第52回北京あんてぃーく倶楽部活動予告(潭柘寺、戒台寺)

2018/04/03 22:41
2018年4月活動のご案内です。

■日程:2018年4月22日(日)

0730 ケンピンスキーホテル(亮馬橋店)
0745 建外SOHO A座 
0830 潭柘寺(国)、潭柘寺塔林
1130 昼食
1300 戒台寺
1530 盧溝橋
1800 北京市内、反省会

■応募締切:4月16日(月)

4月は門頭溝区の潭柘寺と戒台寺です。PACでは過去にも訪問していますが、今回は時間を取り、潭柘寺の塔林をたっぷり見学します。塔林は日本人僧侶の塔やフビライの娘、妙厳公主の塔などを見学します。

盧溝橋は、欄干の上にある約500体の石獅子の時代考証をします。金代1192年に完成した盧溝橋はその後何度も修復を繰り返し、石獅子は金、元、明、清、民国、現代と6時代の石獅子が共存していますので、その違いを楽しみましょう。

いずれも少し不便な場所にありなかなか訪問出来ないところです。
ぜひこの機会にご参加ください。

■応募方法:参加出来る方は椎野までご連絡下さい(微信可)。
※また初参加の方は、下記メールアドレスまでご一報ください。
※メールアドレス:shiino@bjnt.com

皆様のご参加をお待ちしております。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


第51回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(銀山塔林・白浮泉遺址他)

2018/03/21 01:38
2018年3月PAC活動のご報告です。
今回の北京あんてぃーく倶楽部活動は「昌平区めぐり」です。
少々肌寒い1日でしたが、13名のメンバーが元気に参加。

■日時
2018年3月11日(日)

■実際ルート
0730北京市内集合
→国保・銀山塔林
→国保・白浮泉遺址(九龍池、都龍王廟)/龍山度暇村ホテル内
→区保・西沙屯薬王廟;
→市保・朝宗橋
→区保・清代大碑・楊増新(1864-1928)墓碑
→区保・南一村清真寺
→康熙行宮(北京温都水城)
→1730北京市内/反省会
※国保=国家文物保護単位、市保=北京市文物保護単位、区保=昌平区文物保護単位

早朝、北京市内に集合して、貸切バスで「国保・銀山塔林」に向かいます。
しかし、ここは2014年から修復のため閉園が続いていて、残念ながら未だに閉園でした。
画像

画像

ちなみに銀山塔林は昌平区の中心から更に東北へ30kmに位置し、もともとは唐代に華厳寺が建てられたのがその始まり。遼代にはここに宝岩寺が建てられ、金代には延聖寺として再興され、明代(1429年)に法華禅寺と改称されたとのことで、境内にはたくさんの塔(周辺含めて18座)があり、塔林と呼ばれています。隆盛時、銀山の山麓には72座の塔が建ち並んでいたそうです。
画像

その雄姿に思いをはせて次に向かいます。

気を取り直して次は「国保・白浮泉遺址(九龍池、都龍王廟)」へ。
画像

画像

ここは元大都の水源として、元二十九(1292)年に元代の天才・郭守敬(1231年-1316年、天文学者、数学者、水利学者)によって作られた「水がめ」です。現在は広大な新城賓河公園内に有り、未だに悠々と水を湛えています。往時を思いながらまずはここで記念撮影。
画像

画像

いろいろ調べた結果、国保プレートや都龍王廟は龍山度暇村ホテル内に有ることが判明。
画像

画像

画像

しかしここも工事中ということで敷地内に入って確認することはできませんでした。また、敷地内の寺廟らしき建物についても全く情報がなく、下から眺めるだけでした。

次は「区保・西沙屯薬王廟」です。沙河小学校の隣りにあります。
画像

画像

ひっそりと残っていますが、山門は風格があります。唐代の創建で、かつては“京北第一大薬王廟”と呼ばれたとのことです。
画像

ただ、残念ながら中には入れず、門の隙間から少しだけ覗いて撤収です(笑)。

バスは徐々に市内方向に進んでいきます。「市保・朝宗橋」です。午前中の撮れ高が少なく(笑)、今回の参加者で未訪問の人もいたので寄りました。PACではお馴染みの橋です。
画像

昌平区の中心から南に10km、巩华城(鞏華[きょうか]城)のすぐそばにあり、多くの車が往来して現役の橋として機能しています。明代創建で、盧溝橋、永通橋(俗称八里橋)とともに京師三大橋梁と讃えられる七孔石橋(7つのアーチのある橋)です。見てください、この立派なお姿(笑)。
画像

画像

橋の北端東側には明万歴四年(1576年)に建てられた高さ4mの大きな漢白玉の石碑が残っており、「大明、朝宗橋」の文字が刻まれています。
画像

画像

続いて「区保・南一村清真寺」へ。
画像

画像

残念ながらここも未開放でした。今日は全部入れない。厳しい〜(笑)。
画像

画像

画像

明代の創建で沙河地区唯一の清真寺とのことです。そばには「区保・清代の大きな墓碑」もありました。
画像

画像

フェンスで囲われた遠くにプレートが見えます。
画像

撮影した文字を拡大してみると、楊増新(1864-1928)墓碑であることが判明、楊増新は光緒年間に科挙合格して各地の行政管理に功があった方で、当地に眠るとあります。まだまだ知られていない遺祉がたくさんあるんですね〜。

そして最後は「康熙行宮」。
画像

“北京温都水城”の広大な区画の中に有ります。
画像

画像

もともとは康熙帝の行宮(休憩所)として康熙五十(1711)年に建設されたとのこと。
画像

画像

現代の作でしょうが、ホテル内にあった九龍壁もなかなか精巧な作りです。
画像

画像

現在、付近はホテルやレジャーランドとして大規模再開発がなされ、別の意味で往時を偲ぶ繁栄ぶりとなっています。
画像

夕方、1730、北京市内に到着。いつものお店で反省会。今春で北京を離れるメンバーも複数おり、アサヒビール片手にいつまでも思い出話しに花が咲きました。

それではまた次回。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


第50回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(河北省琢州市・三国志めぐり)後編

2018/03/02 23:35
<後編>
さあ、午後はいよいよ「三国志関連史跡めぐりです」。

ちょっぴり復習しておくと、
「三国時代」とは、ざっくり西暦220年(曹丕が魏王朝建国/後漢滅亡)〜221年(劉備・蜀)〜263年(魏により蜀滅亡)〜265年(司馬炎が晋建国/魏滅亡)までの時代のこと。

有名な「三国志」のあらすじは、西暦180年頃、世は乱れ、各地で「黄巾の乱」とよばれる民衆の反乱が起きる。
劉備、関羽、張飛が義兄弟のちぎりを結び(桃園の義)官軍に義勇軍として参加。
劉備は三顧の礼で諸葛亮を軍師に。赤壁の戦い(208年)後、中国全土は、曹操(魏)・劉備(蜀)・孫権(呉)のに三分され『三国志』の原型となる。
画像

(写真は三義宮内の劉備、関羽、張飛像)

関羽は曹操・孫権の結託により捕らわれて処刑され、蜀皇帝・劉備は、関羽に対する恨みを晴らす為、孫権(呉)に攻め込むが張飛が暗殺され大敗。
劉備は諸葛亮に後を託し病死。諸葛亮は劉備(蜀)の跡を継ぎ、魏に戦を仕掛けたが5度目の北伐・五丈原の戦いで諸葛亮が死去。

三国志の話はここで終わります。
(※メモ:前221年秦始皇中国を統一。前206年前漢。25年後漢、184年黄巾の乱)。その後、魏の晋王・司馬炎が魏を滅ぼし晋を建国し、さらに呉を滅ぼして晋が中国全土を統一(280年)。316年西晋が滅亡、五胡十六国時代・南北朝時代へ。589年隋が天下を統一と続きます。

まずは「張飛廟(市保/始建年代不詳)」へ。
画像

街道沿いには入り口を示す立派なオブジェ。
画像

画像

みんな楽しそうに思い思いに記念撮影。

続いて張飛廟の入場券20元を買って入場。
画像

画像

画像

しっかり琢州市文物保護単位プレートを押さえて、張飛井戸へ。
画像

画像

古い石製井戸枠が残っています。
画像

画像

画像

お話とすると「張飛は肉屋さんを営んでおり、この井戸を冷蔵庫代わりに使っていたが、ある日、ここを通りかかった関羽が重さ200kgの石の蓋を軽々持ち上げて肉をもって行ってしまう。これに張飛が激怒、劉備が仲裁することに。こうして3人の友情が始まった」ということになっています。
画像

その様子が周辺の壁の絵でわかりやすく説明されています。
画像

画像

井戸の横には清代康煕39年(1700年)に張飛慰霊祭をした際の記念碑があります。
この石碑がここでは一番古い年代の物ではないでしょうかね〜。
画像

画像

張飛故居なんていうのもあります。出来たてホヤホヤっぽいです(笑)。
画像

画像

みんなでかなり重たい槍や刀を持ってポーズ(笑)。
画像

画像

ここには張飛廟(張飛墓)もあります。

張飛廟を満喫して次は大通り沿いの「三義広場」で下車。
画像

画像

ここは遺祉ではないのですが、村のランドマーク。劉備、張飛、関羽の雄姿がそそり立ちます。お年寄りにも人気の広場です。

いよいよ本日クライマックスの「敕建三義宮(省保)」です。
画像

画像

隋代始建で1996年再建ですが、なかなか立派なつくりです。
画像

画像

画像

画像

画像

画像

場内にはあちこちに劉備、張飛、関羽、三人に関する造作があり、「桃園の誓い」前で3人ずつ思い思いにお誓いポーズ(笑)。昔ながらのぐい呑ではなく今時の缶ビールで各チームは一体何を誓ったのでしょうか(笑)。
画像

ちなみに桃園の誓いが本当にここであったかどうかは諸説あるようです。
画像

九龍碑。明代。
画像

裏側のレリーフも立派です。

最後は流石、ここで終わらない「北京あんてぃーく倶楽部」。大樹楼桑村へ向かいます。大樹楼桑村は劉備玄徳が生まれた村。村内には忠義路、玄徳路など「あんてぃーく倶楽部」心をくすぐる地名が残ります。

目的地の「漢昭烈皇帝劉備故里」碑に到着です。
画像

画像

画像

1996年に建てられた石碑が畑の真ん中にポツンとあるのですが、劉備玄徳が生まれた村を訪れたこと自体に意味があると皆満足。

場所がわかりずらいです。百度地図のアプリでは村の名前しか出てきません。
今回は訪問歴のあるメンバーが事前に教えてくれて助かりました。
画像

画像

三義宮からですと三義広場まで戻り、手前の三義街を左折(南に下る)、松高路を左折して、琢白路(琢は当て字です)をまた左折し北に少し上がり玄徳路を右折します。そうすると村名の道路標識が出てくるのでその先左手の幼稚園の近くです。
画像

画像

別の道から行こうとすると、バスなどは高さ制限で入れない道があります。お気をつけください。

ちなみに劉備、張飛、関羽の故郷は
・劉備玄徳:河北省琢州市大樹楼桑村
・張飛益徳:河北省琢州市忠義店村
・関羽張雲:山西省運城市常平郷常平村 です。

風もなく穏やかな早春の一日を無事、楽しく過ごすことが出来ました。
画像

最後は北京市内に戻り反省会。スーパードライで乾杯しつつ、楽しい会話が続きます。

お疲れ様でした。今日のところはこの辺で。
また次回、お会いするのを楽しみにしています。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


第50回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(河北省琢州市・三国志めぐり)前編

2018/03/02 23:31
画像

2018年2月PAC活動のご報告(前編)です。
記念すべき第50回北京あんてぃーく倶楽部活動は「河北省琢州市・三国志めぐり」です。春節も明けて、すっかり暖かくなり、15名のメンバーが元気に参加。晴天の一日を楽しみました。
尚、昨年12月の活動報告同様「琢州(たく州)」の「琢」は、本来「氵」が正しいのですが、文字化けするため便宜上当て字にしています。

■日時
2018年2月25日(日)

■予定スケジュール
0720ケンピンスキーホテル(亮馬橋)
0745建外SOHOA座(国貿)
0930琢州下胡良橋(国保)
1000琢州清行宮(省保)
1100琢州学宮(省保)/予備:天国寺、泰宁宮
1200昼食
1330琢州張飛廟(市保)、三義宮(省保)、劉備碑(大樹楼桑村)
1830北京市内/反省会
※国保=国家文物保護単位、省保=河北省文物保護単位、市保=涿州市文物保護単位

■実際ルート
0720ケンピンスキーホテル(亮馬橋)/0745建外SOHO(国貿)集合
→琢州市(下胡良橋(国保/明万歴二年公元1574年)
→清行宮(省保/1751年乾隆帝宿泊処)
→天国寺
→鼓楼大街(劉備玄徳、張飛益徳が闊歩)
→琢州学宮(省保/唐大歴初年始建孔子廟)
→桃園飯店(既に取壊され未発見)
→昼食
→張飛廟(始建年代不詳/張飛井戸/張飛墓)
→三義広場/劉備、関羽、張飛の銅像
→敕建三義宮(省保/始建隋代/桃園の誓い)
→劉備故里石碑(大樹楼桑村/劉備が生まれた村))
→北京市内/反省会

快晴、朝の気温は▲6度C。
誰も遅刻することなく15名が集合して、いつものマイクロバスで琢州市の下胡良橋(国保)と琢州清行宮(省保)に向かいます。

実は昨年2017年12月9〜10日に「房山張坊鎮・清西陵・琢州めぐり」を実施した際に時間切れ等で参観できなかった2ケ所をフォローアップします。

まずは「下胡良橋 (国保) 」。
画像

画像

明万歴二年(公元1574年)建設、ちょっと落書きもありますが、横から撮影するとこの通り立派な姿です。
電線がじゃましてメンバーが撮影アングルに苦労(笑)。しゃがんで撮ったりしています。
画像

画像

画像

画像

次は「清行宮(省保)&薬王廟」へ。
画像

画像

ガビ〜〜ン。春節休みなのか閉館でした!
2017年12月10日に訪問した際には昼休み休憩中で閉館、何と二連敗です(笑)。
ひょっとしたら年間通じて閉館中なのかもしれません。
画像

画像

画像

清行宮は明嘉靖年間創建、乾隆十六年(1751年)に乾隆帝が泊まった場所です。
メンバー一同諦めきれずに周囲をぐるっと回ります。
画像

画像

でもやっぱり諦めて「乾隆行宮影壁」と「行宮正門」の前で集合写真を撮って撤収〜(笑)。

そして時間調整含めて「天国寺」へ。
画像

地図でルートを調べている際に見つけたお寺で、その名前に惹かれて訪問。
画像

画像

画像

元々の名前は雲居禅寺で唐代創建の千年古刹。
長い年月の間に風雨や戦火で焼け落ち今はかつての痕跡は残っていない。
その後、当地に再建されたが、なぜ天国寺と改名したかは不明とのこと。
画像

「鼓楼大街」です。
画像

画像

画像

ここは琢州城の中心部。
その昔、この大通りを劉備玄徳や張飛益徳が闊歩したのかな〜。
画像

「学宮(省保/唐大歴初年始建)」です。
画像

画像

鼓楼大街からすぐ近く。敷地内には「大成殿、戟門、泮池橋(元至正二年/1342年)」が残っているはずですが、ここもクローズで正門で集合写真を撮って撤収〜。
地図には隣接して孔廟もあるようだったので、いろいろ聞き歩きましたが結局、その孔廟の一部として学宮が残っているのみのようです。

次は「桃園飯店」を目指します。
ここは別のブログで敷地内にいろいろな造作があり面白いとの情報があり、また昼食もとれそうなので捜索開始。
しかし資料の住所に行ってみるもその影は無し。
地元の人の話では桃園飯店は既に無くマンションになったとか。
画像

画像

画像

画像

丁度、近くに手ごろなレストランがあったのでここで昼食。
画像

画像

たくさん食べて飲んで1人何と33元でした〜満足、満足!

午後はいよいよ「三国志関連史跡めぐりです」
後半に続く〜。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


<北京の世界遺産めぐり>故宮博物院西側エリアを徹底解剖

2018/03/01 18:58
画像

今回は北京故宮博物院のご紹介です。

北京故宮は1987年12月ユネスコ世界文化遺産登録されました。
通常ですと故宮観光に費やす滞在時間は2〜3時間から長くて半日というところでしょうか?
その場合は、大体大和門、大和殿からなる中心線と右(東)側の有料観光となっている九龍壁を見るのが定番です。
画像

故宮九龍壁。清代1772年。北京北海公園と大同の九龍壁と合わせて中国三大九龍壁の一つ。2014年撮影。

日本では特に浅田次郎著「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」が有名になり、北東端に位置している珍妃井を見に行かれる方も多いのではないでしょうか?
画像

珍妃井。光緒帝の側室であった珍妃は1900年八カ国連合が北京に迫った時にこの井戸に落とされ溺死した。2014年撮影。

さらに時間があれば西側の西太后の住まいだった儲秀宮を見て、北側の神武門から出て観光終了となるのが一般コースかと思います。

今回はこれまで訪問出来ていない古橋や西側建築関係を中心に見て回りました。

訪問日;2018年2月22日

本来春節明けの平日ですが、訪問者Sの会社は振替休日だったのでした(笑)。平日なので空いてると思って行ったのですが甘かったです。。。
画像

朝0840でこの行列。まだまだ世間は春節期間です。ただ、春節対応で検査ゲート数が倍になっており、15分程度で通過出来ました。
画像

しかし、また関門。当日チケットがQRコードで全部ネット購入になっていました。
自分で無事買えて良かったですが、Sは中国語が苦手。すこしビビリました。
画像

今までのチケット売場は閑散としてます。

あとであんてぃーくメンバーが教えてくれたところによるとチケット売り場と反対側の東側に外国人専用チケット売り場があるようです。
しかし、故宮の訪問は現在1日8万人限定。行かれる方は前もってしっかり確認することをお勧めします。
画像

さあようやく入場。大和門前の5本の橋は午門内金水橋、1690年清代。

正面には目もくれずに(笑)、まずは向かって右(東)側の東華門方面へ。
このエリアには3つの古橋(三座門三石橋、東華門内石橋と半辟橋)があります。

三座門三石橋はまだ未開放でした。
故宮は残念ながらまだすべてのエリアが開放されているわけではありません。
2015年の開放エリアは総面積の60%に留まっていました。
2016年は76%、今年2018年は全体の80%を超えるエリアが開放される見通しになっています。
画像

画像

画像

東華門内石橋は明代の橋。東華門の前に位置しています
画像

画像

すぐ近くに九壇八廟の一つ、伝心殿があります。今は、古建部になっておりますが、これも残念ながら入れませんでした。ちなみに八廟は太廟,奉先殿(故宮),伝心殿(故宮)、寿皇殿(景山公園)、雍和宮,文廟(孔廟),堂子,歴代帝王廟。
画像

奉先殿は現在有料の時計展示館になっている場所です(今回未訪問、2014年撮影)
堂子は今の北京飯店に位置していたようですがすでにありません。
画像

画像

半辟橋は協和門すぐ横にある橋です。これも故宮内の一般通路で使われていた橋です。
画像

画像

この後、もう一度中央を通って西側に階段がある午門を初めて上りました。
上からの眺めもなかなか壮観です。
画像

西の角楼は途中までしか行けません。
画像

東の角楼は中まで入れます。
中では角楼が建てられるまでの模型ビデオが流れています。
画像

画像

その先はさっき行ったばかりの東華門。中は展示室になっていてなかなかの充実ぶり。
しかし、そこから下りるので、また振り出しになってしまいました。。。
最初から午門行けば良かったです。
画像

画像

もう一度、大和門を見ながら西側の武英殿に到着。こちらには武英殿三石橋と断虹橋の2橋が目的です。
画像

画像

武英殿三石橋、明代初期。
画像

そのすぐ東側にある断虹橋。元代あるいは明代初期の橋。故宮内で最も古い橋です。
画像

画像

全長は18.7mでそれほど大きな橋ではありませんが、橋の両脇に位置する石獣や双龍の彫り物は非常に精密で素晴らしく、ずっと見ていても飽きることがありません。立ち去るのが惜しいくらいです。
画像

今は欄干の両脇がマットで保護されています。すでに700年余り前の貴重な橋ですから保護は重要ですね。しかし、せめてガラスカバーにして貰って彫刻が見えるようにして欲しいところです。
画像

画像

画像

その先に中国語で氷窖(Bing1 Jiao4)と呼ばれるかつて氷を保存していた氷室あります。現在はカフェになっています。何か買わないと中に入れないので12元の飲料水で休憩(笑)。

定食は58元だったと記憶。大した料理じゃなかったけど(笑)、家族連れは食べるところも少ないので結構注文してましたね。

雰囲気やレベルともに景山公園奥にある恭倹胡同の皇家冰窖が全てに勝っておりますが、話しのネタには良いのでぜひ立ち寄って見てください。
画像

画像

しばしの休憩の後は、慈寧花園。太皇太后、皇太后や皇太妃らの憩いの場だったところです。
画像

或若館(清代)の中は皇太妃の儀式の場。ガラス越しで写真が撮りにくいです(笑)。

続いては彫塑館へ。
画像

彫塑館は2015年から常設していたんですね。全く知りませんでした。
画像

画像

画像

様々な時代の仏像を一同に集めており、狭いながら個人的には中国国家博物館の仏像コーナーより内容は充実しているように感じました。仏像ファンはここだけでも見る価値があると思います。
画像

画像

画像

画像

寿康宮。清代。

そこから北に向かうと西六宮と言われる西太后や皇后の住まいがあった場所になります。

そして、その儲秀宮(ちょしゅうきゅう)へ。
画像

画像

明代創建、清代改修。西太后が住んでいた場所で、すでに夕方4時近くでもさすがに混んでいます。
画像

画像

ガラス越しの中の撮影がほんとに大変(苦笑)。カメラのフードをラバーに付け替えての撮影です。この塔に名前はついているのかな。欲しいなあ(笑)。

中央に戻ると交泰殿が目の前だったのでせっかくだから見学します。
画像

画像


ようやく出口前の御花園に到着。御花園ニ亭橋を見ます。
画像

浮碧亭橋。明代。
画像

澄瑞亭橋。明代。

時刻はすでに1630。この時間になると係員から追い出しが掛かります。追われるように神武門を出て観光終了です。
画像


故宮はやっぱり凄いとあらためて実感。最近の観光は郊外に出ることが多かったのですが、灯台モト冬樹でした!
長々とお付き合いありがとうございました。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


第51回北京あんてぃーく倶楽部活動予告(銀山塔林・京杭大運河巡り)

2018/02/10 10:25
3月度の北京あんてぃーく倶楽部活動予告になります。
2月の活動実施前ですが、3月の実施日の都合上、早めの御連絡となります。

■日程
3月11日(日)

■スケジュール
0730 ケンピンスキーホテルロビー集合
0900 銀山塔林(閉園の場合は付近まで)
1100 白浮泉遺址(九龍池、都龍王廟)
1300 昌平市内で食事 
1400 文物石刻園
1530 半截塔
1700 ケンピンスキーホテル着 
(スケジュールは一部変更になる場合があります)

■注意事項
・山歩き出来るような格好でお越しください。
・一応、パスポートの携帯をお願いします。

■応募締切:3月5日(月)

■応募方法:参加出来る方は椎野までご連絡下さい(微信可)。
※また初参加の方は、下記メールアドレスまでご一報ください。
※メールアドレス:shiino@bjnt.com
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


第50回北京あんてぃーく倶楽部活動予告(タク州・三国志巡り)

2018/02/02 22:49
2018年2月活動のご案内です。

2月は河北省涿州(たくしゅう)市です。
涿州は12月のPACで行きましたが、今回はその時に行かなかった三国志関連を中心に回ります。
涿州市は蜀の劉備玄徳と張飛の生まれ故郷です。
劉備、張飛、関羽の3人で義兄弟の契りを交わした桃園の誓いの碑などを見学します。

また、12月には中に入れなかった清行官へももう一度訪問します。


■日程:2018年2月25日(日)
訪問場所;三義宮、張飛廟、清行官、下胡良橋、泰寧宮などを予定。
日程は別途御連絡となります。丸一日の活動になります。
※必ずパスポートを携帯ください。


■応募締切:2月17日(土)


■応募方法:参加出来る方は椎野までご連絡下さい(微信可)。
※また初参加の方は、下記メールアドレスまでご一報ください。
※メールアドレス:shiino@bjnt.com


皆様のご参加をお待ちしております。

記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


第49回北京あんてぃーく倶楽部活動報告(国家博物館見学&新年会) 2018年1月PAC活動のご報告

2018/01/27 12:55
2018年1月PAC活動のご報告です。
明けましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

■日時
2018年1月21日(日)

■スケジュール
0930地鉄・天安門東站D出口集合
1030中国国家博物館見学
1230「泰豊楼飯庄」で新年会ランチ
1400解散、その後、有志による散策

本年最初の活動は「中国国家博物館」見学と老北京八大楼の1つ「泰豊楼飯庄」で新年会です。
昨日までの暖かさはどこへやら、寒い朝になりましたがメンバーが続々と集合地点の地下鉄駅に集まってきます。
画像

中国国家博物館のみ参加、新年会のみ参加という方を含めて総勢で24名が参加(季節柄、風邪などで急遽欠席の方もいて残念)。
まずは中国国家博物館のチケット配布窓口に並びます。
画像

0930に駅に集合して安全検査を通過しチケット配布窓口でチケットをゲットして1015やっと中国国家博物館に入場です。
先ずはいつの間にか出来たキンキラキンの天壇祈念殿オブジェの前で記念撮影。
画像

1145に再び天壇祈念殿オブジェ前集合ということで、地下1階にある中国歴史の基本展示コーナーを中心に各自自由に見学開始。
今回は中国国家博物館に収蔵されている重要文物の資料を事前配布、意識して探しながら見ていきます。重要文物25点はこれら。
1 马家窑文化彩陶舞蹈纹盆
2 马家窑文化彩陶贴塑人纹双系壶
3 仰韶文化彩陶网纹船形壶
4 红山文化玉龙
5 彩绘鹳鱼石斧图陶缸
6 陶鹰鼎
7 仰韶文化彩陶人面鱼纹盆
8 子龙鼎
9 四羊方尊
10 嵌绿松石象牙杯
11 后母戊铜鼎
12 天亡簋
13 利簋
14 大盂鼎
15 虢季子白盘
16 莲鹤方壶
17 包金镶玉嵌琉璃银带钩
18 诅盟场面贮贝器
19 “滇王之印”金印
20 “赤乌十四年”款青釉虎子
21 绿玻璃盖罐
22 绿玻璃小瓶
23 陶骆驼载乐舞三彩俑
24 青釉仰覆莲花尊
25 孝靖太后凤冠

古代からスタートして、まずは有名な鷹形陶鼎(紀元前5000-3000)。
画像

びっくりの古さです。尚、ほとんどの中国の博物館はフラッシュなしの撮影が許可されていますので遠慮なく貴重なお宝の数々を写真に収めていきます。
画像

画像

画像

次々に会員から発見した重要文物の展示写真がグループチャットにアップされてきます。
青銅器コーナーでもたくさんの重要文物をゲット。青銅器は3階にも常設展示場があります。
画像

画像

画像

画像

そして、金印、唐三彩、冠などなど。
画像

画像

画像

その他の文物も勿論、見応え十分です。残り時間あと僅かなのにまだ西周時代だったりしてちょっと急ぎ見て回る会員も(笑)。
あっという間に集合時間の1145になりみんな集合。事務局の連絡不備もあり、朝の全体撮影に間に合わなかった方々も含めてもう一度記念写真を一枚。
画像

何度見ても見方のテーマを変えたり、一緒に見て回る人が変わったりするだけで本当に楽しいものです。
結局、この日に会員が見つけ出してきた重要文物リストの25点中で19点を確認。その中には、中国から国外持ち出し禁止の第一級文物も数点拝めることが出来ました。
画像

まだまだ見たい気持ちはありますが博物館を出て、さあ次は前門西にある老北京八大楼の1つ「泰豊楼飯庄」で新年会です。

博物館を出て天安門広場の横を通過してすぐ「市保・京奉鉄路正陽門東車站」でプレートを参拝します。
画像

画像

昔々、西太后がここから汽車で天津に行ったとか。

次は前門正面「国保・正陽門」にお参り、いつ見ても威容を誇ります。
画像

そして前門入口にあるシルクの名店「市保・謙祥益旧址」、今でもシルクのチャイナドレスをオーダーメイドできます。
画像

ついでに廊房頭条の北京坊へ。ここには清代の宝石商・金店や勧業場旧址などが残ります。
画像

画像

画像

数年前まで荒れ放題でしたが北京五輪前後から修復、再開発が開始され最近、かつての威容を取り戻しています。
すぐ裏は塩業銀行旧址と交通銀行旧址。いずれも市保です。近くではMUJIホテルが開業を待ってました。
画像

画像

ついつい寄り道していてレストラン予約の時間が迫って来ましたので急ぎます。
画像

予約時間ぴったりの1230に到着。泰豊楼飯庄は歴史あるレストランで光緒初年(1875年)創業の山東料理店。
清代には北京八大楼(八大名店のような意味)の1つとして名声を博し、袁世凱や蒋介石など著名人も多く美味を楽しんだそうです。
ちなみに諸説はありますが、一般的には北京八大楼とは泰豊楼、東興楼、致美楼、鸿興楼、正陽楼、新豊楼、安福楼、春华楼を指し、
このうち、泰豊楼、東興楼の2店が現在でも営業を続けています。
画像

3テーブルに分かれて美味しい、そしてどこか懐かしい味を堪能しました。
画像

画像

また飛び入りでこの日の夜便で日本にしばらく帰国する会員も駆けつけてくれました。
会長メッセージや今季上期予定などの披露もあり無事終了。

そしてここで一応予定は終了なのですが、簡単には終わらないのがPAC、午後の部に突入します。ほとんどの会員が参加します。

まずは昨年晩秋に行った宣化古城の察哈爾(チャハル)民主政府旧址にちなんで察哈爾(チャハル)銀行旧址(1917年)を見学。近くの前門西河沿街にあります。
画像

画像

次は楊梅竹斜街にある「泰豊楼飯庄旧址」を見学。今はユースホステルとして利用されているようですが、はいそうです。先ほどのレストラン「泰豊楼飯庄」のもともとのお店です。
画像

画像

画像

画像

次は「国保・大柵欄商業建築群」を散策。シルクのお店に入ったり、お茶の名店「張一元」に寄り道したりと楽しく散策。
画像

画像

画像

続いて、会員のリクエストで北京で一番狭い行止まり胡同である「区保・銭市胡同」へ。ここはちょっと入口がわかりにくいですね。
画像

画像

狭くて行止まりだからこそ、お金を持ち逃げされないために好都合で、清代に両替商が軒を連ねたそうです。
ちなみに幅70センチ。近々、銀銭業博物館に生まれ変わるとの張り紙も出ていました。
寒くなってきたので次は「源昇号・二鍋頭博物館」へ。
画像

画像

ここはもともと「源昇号」と言う名前の白酒醸造蒸留場だった所で現在は博物館になっています。
1949年に市内にあった12の白酒醸造蒸留場が赤星二鍋頭として統合されたそうです。
ここでちょっと白酒3種類を無料試飲。醸造蒸留場跡の現物や旧ラベル商品展示などかなり楽しめます。最高アルコール度数は67度!寒い日には温まって良いです(笑)。
画像

ちょっと温まったところで台湾会館(1896年創設)へ。
画像

画像

北京には地方から出てきて科挙試験を受験する為の宿泊施設として各地域の会館が多く存在しますが、台湾籍の方も32人の方が科挙試験に合格していたそうです。

すっかり夕方になりました。
今日のところはこの辺で。また次回、お会いするのを楽しみにしています。
画像

記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


北京あんてぃーく倶楽部(PAC)歴代活動一覧

2018/01/23 11:26
PAC創立から2017年12月までの活動で回った場所を列挙しました。まだ行けてない、見れてない北京がありましたら、以下の場所から選んで行かれてみてはいかがですか?

■2013年度
第1回(7月)古玩城(華威橋)
第2回(9月)古陶文明博物館見学
第3回(10月)北京大学サクラー記念館、西単中国書店
第4回(11月)肥沼特別顧問を囲む会
第5回(12月)清西陵、荊軻塔、戦国燕国の長城遺跡

■2014年度
第6回(1月)中国国家博物館、古玩城
第7回(3月)北京紫檀博物館、高壁店家具街
第8回(4月)石家庄 正定古城、河北省博物館
第9回(5月)南崗ワ橋、鎮崗塔、盧溝橋、宛平県城、中都水門関、中都城壁
第10回(6月)北京中国会、首都博物館
オフ会(6月)広済橋、上庄東岳廟、龍泉寺、醇親王墓、大覚寺
第11回(7月)西山八大処、法海寺、田義墓、宦官博物館
第12回(8月)中国国家博物館
第13回(9月)琉璃河大橋、西周燕都遺跡博物館、良郷塔、関帝廟(房山)
第14回(10月)長椿寺、報国寺、宝応寺、崇効寺蔵経閣、牛街礼拝寺、法源寺
第15回(11月)永通橋及石道碑、粛慎親王敬敏墓、張翼祠堂、十方諸仏宝塔
第16回(12月)清西陵、荊軻塔見学

■2015年度
第17回(1月)昌平区博物館、朝宗橋、古代銭幣展覧館
第18回(3月)雲居寺
第19回(4月)(銀山塔林)、文物石刻園、白浮泉宮遺址、朝宗橋
第20回(5月)潭拓寺、戒台寺、三官閣過街楼  
第21回(6月)碧雲寺、竹園賓館
第22回(7月)首都博物館、白雲観、定慧寺、慈寿寺塔
第23回(9月)金陵、十字寺遺址、周口店
第24回(10月)白龍潭龍泉寺、冶仙塔、護城古堤遺址、密雲博物館
第25回(11月)中国国家博物館
第26回(12月)清西陵、満城漢墓、保定市博物館

■2016年度
第27回(1月)清農事試験場旧址、北京石刻博物館、海淀区博物館
第28回(2月)姚広孝墓塔、常楽寺、豊台娘娘廟、金中都水関博物館、金中都城遺跡
第29回(3月)霊厳寺大殿、双井寺、川底下村、霊岳寺
第30回(4月)慈善寺、法海寺、田義墓(宦官博物館)、承恩寺、皇姑寺、老山漢墓
第31回(5月)定州、開元寺、定州貢院、元代清真寺、唐代文廟、中山漢墓、明代城門
第32回(6月)雲居寺、漢白玉文化芸術宮、賈公祠
第33回(7月)白瀑寺、恭倹氷窯
第34回(8月)万佛堂、孔水洞石刻及塔、鉄瓦寺
第35回(9月)慶豊關遺址、張家湾城壁遺址及通運橋、張家湾清真寺、燃灯塔、永通橋、南新倉、匯通祠
第36回(10月)鳳翔寺、紅螺寺、甘澗峪古建築遺址群(朝陽庵)、鹞子峪城堡
第37回(11月)頤和園、北圩金山寺、団城・健鋭営演武庁
第38回(12月)清西陵、紫荊関、燕下都遺址、燕子塔、鎮霊塔、琉璃河大橋、西周燕都博物館

■2017年度
第39回(1月)中国国家博物館、東交民巷
第40回(2月)南口城(李公墓、南口村清真寺)、居庸関雲台、和平寺、西貫市清真寺
第41回(3月)番字石刻、白馬関城堡、白乙化烈士記念館、超勝庵
第42回(4月)河北博物院、正定古城、曲陽北岳廟、曲陽修徳寺塔→一泊旅行予定(4/22-23)
第43回(5月)白水寺、姚広孝墓塔、常楽寺、万佛堂、孔水洞石刻及塔
第44回(6月)雲居寺、石経山
第45回(7月)龍泉寺、醇親王墓、孚郡王墓、香岩寺、広済橋
第46回(8月)妙峰山碧霞元君廟、門頭溝博物館
オフ会(9月)平津戦役天津前線指揮部旧址、安氏祠堂、董家大院、関帝廟、安家大院、石家大院、
        楊柳青民俗文化街、京杭大運河西青段、十四仓遗址、平津上闸
第47回(10月)連泉寺(未達)、金陵、鳳凰亭
オフ会(11月)宣化遼代壁画墓群、宣化古城(大新門/西門、拱极楼/南門、宣化九龍壁、宣化博物館・
        察哈尔民主政府旧址、宣化天主教堂、財神廟、鎮朔楼・鼓楼、時恩寺大殿、清遠楼・鐘楼、
        玉皇廟、宣化清真南大寺)、明代土木之変遺祉
第48回(12月)清西陵、張坊(宋遼戦道、極楽禅寺、五級密檐塔)、涿州(双塔、永済橋、古城壁、高家大院、
        清真寺、永安寺塔)
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


2018年・新年のご挨拶

2018/01/20 10:05
皆様、新年あけましておめでとうございます。

北京あんてぃーく倶楽部の活動も2018年の夏で5年になります。その間、本体の活動はもちろんのこと、各小隊によるオフ会も頻繁に開催されるようになり、北京や北京の周辺にある歴史的文物に対する理解が深まり、北京をより深く好きになって来た方が増加していることを実感しております。

私自身は、2017年9月より、戦場をはるか南は広州に移しておりますが、今でも誰にも負けない北京ラブの気持ちを持ち、心は常に皆さんと同行しております。

今年2018年は、私が不在の機会が増えるため、山洞常任顧問と椎野事務局長を中心に、より深くより熱く北京あんてぃーく倶楽部の活動を皆さんの力で盛り上げていただければと願っております。行きたいところがありましたら、ぜひ山洞さん、椎野さんにご相談ください。きっと素敵なコースプランが仕上がってくることでしょう!

そして、5月と10月は、恒例の1泊旅行を開催できるように、私もより一層精進したいと思っております。

今年一年のPACのさらなる発展と皆様のご健勝を願って、新年の挨拶とさせていただきます。
記事へブログ気持玉 / トラックバック / コメント


続きを見る

トップへ

月別リンク

北京あんてぃーく倶楽部/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる